救出カウンセリング

               

 ほとんどの両親や夫は、救出カウンセリングについて間違った認識や、とてもあいまいな考え方を持っています。彼らは自分の子供や配偶者が統一教会に入っていると分かった時、すぐに救出カウンセリングをしたいと考えます。カウンセラーと話せば、本人が脱会し両親や夫の元へ帰ってくると考えています。「カウンセラーに会わせれば,1日、2日で治して、私たちの元に返してくれるだろう」と思っている両親や夫が多いのです。
 しかし、これは大きな間違いです。カウンセラーは、一人で、カルトに入った本人を救出カウンセリングすることはできません。両親や夫が立ち上がり、カウンセラーと一つになって、お互いに協力し合わなければ救出カウンセリングはできません。また救出カウンセリングを行うためには、準備が必要です。この準備は、一日ではとうていできるものではありません。そして、この問題を解決するためには、両親や夫はあせらないで、冷静に努力しなければなりません。 
救出カウンセリングを行なうためには両親、夫、兄弟、親戚、友人、元メンバー、カウンセラーなどによる一つのチームを作る必要があります。家族は、この問題について同じ考え方を持ち、特に両親は、夫婦としてお互いに理解し合い、問題があれば、事前に充分話し合って理解しておくべきです。もし夫婦の意見や考え方が本人の前で一致することができなければ、救出カウンセリングはとても困難になります。不可能な場合さえあります。
 救出カウンセリングを成功させるために、何よりも家族(両親・兄弟・夫)の愛と理解が一番大切なのです。カウンセラーだけの力で本人の心を開かせるのはとても無理なことです。本人が家族からの愛情を感じて、少しずつ心を開いていった後に、初めてカウンセラーと会うことができます。本人が家族からの愛情を感じられなければ、たとえ脱会することができたとしても、その後の親子関係、または夫婦関係はうまくいきません。家族関係や夫婦関係がうまくいかなければ、その救出カウンセリングが成功したとは言えません。私(パスカル)は、本人を統一教会からやめさせるためにだけにカウンセリングをするのではなくて、家族や夫婦がお互いに信頼関係で結ばれて一つになるためにはどうすればいいのかを考えています。救出カウンセリングはそのために行うものなのだと思っています。 

―救出カウンセリングをするために事前に学んでおくべきこと


      1:カルトのマインド・コントロールとは何かを知ることです。
    2:本人の信じているものが何であるのかを知ることです。
    3:なぜ本人がこのグループに入会したのか、家族で話し合う必要があります。
    4:本人が入っているグループの具体的な問題が何であるのかを知ることです。

      5:自分たちがなぜこの組織や教祖に反対するのか、本人にはっきり説明できる
      ように準備しておきます。
    6:グループの中での本人の心理状態と自己観について、理解する必要があります。
    7:リハビリテーションについて、知る必要があります。(脱会してから本人が
       どのような心理状態になるのかを知ること。)

    8:カウンセラーと家族の間に、信頼関係を作る必要があります。


 救出カウンセリングというのは決して、暴力的行為によって行うものではありません。家族は、本人がカウンセラーを受け入れることができるような心理状態と環境をつくらなければなりません。そして本人がカウンセラーに会いたいと意志表示したときにだけ会わせます。カウンセラーと協力者たちは、本人にカウンセリングをする時に二つのことをします。まず、組織と教祖について、本人に隠されていた情報を与えます。つぎはマインド・コントロールとは何かについて、そして、組織が使っているマインド・コントロールについて、詳しく説明します。この話し合いの中で本人はもう一度自分で考え、判断し、脱会するかどうか決めます。家族、カウンセラー、そして、他の協力者は本人の意志を尊重しなければなりません。これが救出カウンセリングの基本です。さらに救出カウンセリングの時には、次のポイントが大切です。


        
        1:本人に対する非難をしてはいけません。
        2:本人が入った、組織、教祖、教えに対する非難をしてはいけません。
         (1,2、本人の信仰を尊重しないで、気持ちを傷つけるような配慮の
        ない批判をすれば、本人は完全に心を閉ざしてしまいます)
                                       
                   
救出カウンセリング・ワンポイント

 

                        Se prendre en charge 自分自身と向き合うー

 

 カルトの救出カウンセリングの準備を始めるためには、本人を救出する以前に、救出カウンセリングの準備をしようと考えている父親と母親、あるいは夫が、それぞれの自分自身と向き合うというところから始めなければなりません。フランス語では、自分自身と向き合うことを「Se prendre en charge」と表現します。

 「Se prendre en charge」というのは、自分自身を振り返って、ただそれだけで終わりにするのではありません。今までの自分の生き方、友考え方、行動の全てを振り返った時に、良いところや、弱いところ、悪いところなど、いろいろな自分の姿が見えてきます。何かを成し遂げなければならない時には、自分の中の問題点が邪魔をして、前に進むことができません。そのためには、ただそこに留まるのではなく、そこから今の自分には果たして何ができるのかを考えなければなりません。「Se prendre en charge」というのは、誰かに言われたから、やるというのではなく、それぞれ自分の責任で、あるいは自分の意志で自分自身の問題と向き合い、それを解決するまで逃げずに考えるという意味が含まれています。 カルトの救出カウンセリングの準備をする家族にとっては、それぞれの家族自身が、一人の人間として、父親として、母親として、夫としてはどうだったのか、向き合うことがまず必要だと思います。そして今度は父親と母親がお互いに振り返りながら、自分たちの夫婦関係や親子関係について向き合います。そうすることによって、多くの場合は今まで気がつかなかった、あるいは触れなかった自分自身や家族の問題が出てきます。その問題がはっきり出てきた場合には、救出カウンセリングを行う前に、それに対してどうすればいいのか考えなければなりません。何故かといえば、その問題を抱えたまま救出カウンセリングを行うと、それが大きな壁になる可能性が高いからです。ケースによっては、その問題がカルトに入信するための本人のきっかけとなっている場合があります。

 救出カウンセリングの前に「Se prendre en charge」をすることによって、家族側は本人と向き合うための心の準備ができます。そして、救出カウンセリングが始まった時には、その心の準備があるからこそ、家族は逃げずに本人と本音で向き合って話をすることができます。

 例えどんなに準備をしたとしても、その救出カウンセリングを行っている間に、隠されていた問題が出てくる場合があります。しかし、すでに家族は自分たちの問題に対して「 Seprendre en charge」の土台があるので、突然、問題が出てきたとしてもそれに向き合うことができます。また、救出カウンセリングを行う前に、家族がそれぞれ自分自身と苦労しながら向き合ったという土台は、救出カウンセリングの時に、本当の意味で本人を支えてあげることができるのだと思います。カルトの問題や自分自身と向き合うことが、本人にとってどれほど大変なことであるかについて、もっと深く理解することができ、本人の気持ちを共感しながら支えることができるのです。

 自分自身と向き合うことは簡単にできることではありません。そうするためには何よりも勇気が必要です。まず、家族一人ひとりが自分自身と向き合うために勇気を出さなければなりません。そして、そこから、お互いに家族同士が勇気を与え合うことによって、もっと大きな勇気が生まれてきます。救出カウンセリングの時には、家族同士の中に生まれたこの大きな勇気の力が本人にとって重要な支えとなります。その勇気をもらうことによって、本人は安心感を得ます。そのことによって、本人はカルトから植え付けられた強烈な恐怖を乗り越えて、自分自身と向き合いながら、カルトの問題とも向き合うことができるようになります。

 人間は機械ではなく、心で生きています。だからこそ、カルトの救出カウンセリングにおいて最も大切なことは、人間の心そのものを大切にするということです。



 

           カルトに入った人たちの家族に対して


        A : 情報を集める

         あなたが愛した子供、妻あるいは友人がカルトに入信しているようならば、あなたは
         カルトに関する情報を集め始めることは、重要である。これは、極めて重要なステップで
         ある。グループについて学ぶことは、不必要な口喧嘩を避け、本人を理解できないまま
         カルトに戻ってしまうことをさけることができ、そして、それは、あなたがグループの
         思う壷にはまることを妨げる事ができる。


         B:コミュニケーションを続ける

         本人とコミュニケーションを続けるのはとても重要なことです。たとえささいなことで
         あってもコミュニケーションを取れるようにあらゆる方法を使っても続けなければならない。
         カルトの使うテクニックの一つに家族とのコミュニケーションを断つがある。従って、
         直接や第三者、手紙、
Eメールなどでコミュニケーションを続けなさい。

          C : 本人を優しく受け入れる

          あなたの思っている批判や心配をその人にそのまま言うべきかどうか、考えなければなり
         ません。もし本人の組織、リーダー、教えなどを批判すればほとんどの場合は心を閉ざして、
         コミュニケーションができなくなります。そしてその後、本人は組織のみに頼るようになります。
         場合によっては本人から家族に会うことを強く拒否します。なぜカルトに入ったか、どのように
         コントロールされたか、組織の中でどのような生活していたか、脱会した時と脱会後について
         語ります。


          D: 帰る場所を作る

          カルトに入っている人たちはカルトに入っても、家族にとって彼らは家族の大事な一員です。
         親は本人に家に帰りたい時にいつでも帰ってもいいと伝えることはとても大切です。彼らのために
         家は安全、裁かれない環境にならなければなりません。そしてできるだけ精神的、経済的に彼らを
         支えることは重要です。



                     両親のために


            『 家族の恥 一人の母の証言 』( フランスのA.D.F.I. 雑誌『 Bulles ブール』より)

 『 A.D.F. I』という団体は、この20年間に破壊的カルトに入っている人たちの数多くの家族に援助をしてきました。『 A.D.F. I』の会長によると、多くの場合は家族にとって子供が破壊的カルトに入ったことは大変な恥と感じています。彼らはあまりにも恥に感じて、このことについて誰にも話ができないし、『 A.D.F.I 』のような団体にも相談に行くことができません。そこでこのように苦しんでいた一人の母親の証言を紹介します。


 『子供は破壊的カルトに入った時に、私たち夫婦は、“彼はだんだんおかしくなってきている”と感じていました。性格、洋服、行動、言葉づかい、すべてが変わってきました。そして今までの私たちと彼の友達との関係まで変わってきました。何も話ができなくなりました。  私と夫は、何かおかしくなってきていたと分かっても、そのことに対してどうしたらいいのか分かりませんでした。そして彼が家から出た時に私たちは、“手遅れになった”ことを理解しました。その時から私たちは何も考えることができなくなりました。ただ深い恥を感じました。「なぜこうなったのか?」「彼がこのグループに行ったのは、私たちが悪かったからか?」「彼が私たちと相談した時に、私たちは彼の気持ちを理解しなかったからか?」
 私と夫は強い罪の意識を感じました。そしてその後、夫との間に争いがはじまったのです。お互いに相手が悪かったから、息子はカルトに入ったと責めました。私たち夫婦の関係はとても悪くなりました。

 私たちは、この“恥”の思いが強かったために親戚や友だちにも話すことができませんでした。彼らが私たちをどう思うのか、と恐れました。私たちは「どうしようもない親だから、こうなった。」と言われるに違いないと考え、そして誰にも何も理解されないと思っていました。
 子供が家を飛び出してしまった家族に対しては、ほとんどの場合周囲は無理解なのでした。私たちは苦しみながら、誰にも何も話さないでそれぞれ自分たちの殻に閉じてこもりました。二人の心はぼろぼろになってしまいました。

 しかし、家族の中で誰かが破壊的カルトに入る時に、それは必ず親とか、夫とか、妻とか、の責任ではありません。本人はある出来事によって、心が転換期にある時に偶然に破壊的カルトに出会うからです。大事なことは本人にとって、そのグループはどんな魅力があったのか、知ることはとても重要だと思います。もしかしたら家族の中で問題があったかもしれません。しかしそうであっても、親は罪の意識を感じるよりも、本人が脱会するためにどうしたら良いのか、そして脱会してから私たち親はどのように変わらなければならないのかを一番考えるべきです。そしてありのままで、本人を受けとめるために新約聖書のルカの福音章15章11節から32節までの『放蕩息子』の父親のような愛を持つことが必要だと思います。

 私はあるテレビの番組を通してA.D.F.Iの存在を知りました。しかし、その団体の戸をたたくまでには時間がかかりました。なぜ私はその日、戸をたたく勇気が出たのか分かりません。多分あまりにも苦しんだからです。
 A.D.F.I に行ってから、私と私の夫とは心が開放されました。同じ経験をした両親と話すことによって、私たちは別に悪い両親ではなかったと理解できました。長い間、持っていた罪の意識はだんだん消えていきました。破壊的カルトのメカニズムとこれらのマインド・コントロールも分かってきました。そして私たちにとって、最も大切のは多くの人との交流によって、子供のためにどのように私たちの態度と心が変わらなければならないのかを少しづつ理解できたことでした。今、夫婦で私たちの経験を振り返る時に一つの大事な教訓があったと思っています。

 破壊的カルトに入っている人の親たちはそれに対して罪の意識を感じる必要がありません。自分の殻に閉じこもるのは大きな誤りですし、そして家族が恥と思うのはよくないことです。逆にこの問題にぶつかった時に誰に相談できるか、それを早く探すのが一番正しと思います。多くの経験者の力と支えを借りながら、子供を救い出すために忍耐して、希望を持つことができます。破壊的カルトから子供、妻、夫を救い出すために行動を起こすのは大事です。しかし、一人で、自分の力だけでできると思うならば、それは大きな間違いです。最後に、子供、妻、夫が破壊的カルトに入ったからといって、罪責感を感じないで下さい。


 ( パスカル)は、この母親の証言を読んで、日本人であろうが、アメリカ人であろうが、フランス人であろうが、子供が破壊的カルトに入ったために悩む内容は、国の違いなど全く関係がないと新たに考えさせられました。子供が破壊的カルトに入ったために世界中の両親は同じような恥を感じながら、苦しんでいます。その恥と苦しみによって彼ら両親も深い傷を受けています。そしてその傷が消えない状態で子供のカウンセリングに立ち会うのはなかなか難しいことだと思います

この資料の文章を全部又は一部でも使用する場合、マインドコントロール研究所所長パスカル・ズィヴィーの許可を得てからにしてください。


「脱会カウンセリング:その概略」

 David Clark, Carol & Noel Giambalvo, Kevin Garvey & Michael D. Langone,Exit Counseling: A Practical Overview, Carol Giambalvo, Exit Counseling. A Family Intervention, Bonita Springs: AFF, 1991. Pp.54-63. Also in Michael D. Langone ed., Recovery From Cults, Help For Victims of Psychological and Spiritual Abuse, New York: W. W. Norton, 1993.

 D.クラーク、C.ジャンバルヴォ、N.ジャンバルヴォ、K.ガーヴィー、MD.ランゴーニ「脱会カウンセリング:その概略」C.ジャンバルヴォ『脱会カウンセリング 家族介入法』ボニタ・スプリングス:AFF、1991年、Pp.54-63.
MD.ランゴーニ編『カルトからの回復:心理的、霊的虐待の犠牲者への援助』ニューヨーク:WW.ノートン、1993 年再録、ディヴィッド・クラーク、キャロル&ノエル・ジャンバルヴォ、ケヴィン・ガーヴィー、マイケル.ランゴーニ

「脱会カウンセリング:その概略」
翻訳:志村真(199712月、200012月再校正)
A. 序

 脱会カウンセリングは、通常カルトと呼ばれる搾取的操作的グループの信者と様々な情報を分かち合うことに強調点を置いた教育的なプロセスであって、自発的意志に基づき、集中した定められた時間の中で行われ、契約に従ってなされるものである。脱会カウンセリングは、1970年代と80年代にマスコミを賑わしたデプログラミングとは区別される。すなわち、脱会カウンセリングは自発的意志に基づいてなされる反面、デプログラミングはカルト信者を一時的に拘束することにつながっている。

 本章に寄与している人々を含め、多くの脱会カウンセラーは、自らが関わっている活動について言い表す際には、「カルト情報コンサルタント」といった用語の方を好む。しかしながら、カルト信者が自分のカルトとの関係を思い返してみることを手助けするような、自発的な意志に基づいた介入を指すときに多くの人々が用いる用語は、差し当たっては「脱会カウンセリング」ということになろう。通常、脱会カウンセリングにおいては、カルト信者の家族や配偶者が中心的役割を果たす。

 それでは、脱会カウンセリングはどのように行われるのであろうか。手短に言えば、愛する家族の一員がカルトに入会してしまったことを心配する両親なり、配偶者は、脱会カウンセラーや「脱会カウンセリング・チーム」との面談ないしは電話での相談をお願いする。脱会カウンセラーがそのケースを適当と見なし、家族たちも面会を求める場合には、彼女たちは次のステップに進む。すなわち、先ず、両親なり配偶者は、(特に、カルトでホーム生活をしている場合は)カルトによる操作について学ばなければならないし、カルト信者と家族との関係を損なっているところのコミュニケーションのパターンについて知らなければならない。そして、必要であれば、家族は精神衛生の専門家の家族カウンセリングを受けることもあるし、脱会カウンセラーに面接することもある。次に、脱会カウンセラーと家族たちは、カルト信者が脱会カウンセラーと話をしてくれるよう説得するためには、どうしたら一番効果的であるかを話し合う。

 家族がカルト信者に脱会カウンセラーを引き合わせたときには、脱会カウンセラーは通常、カルトへの入信について、それは家族の問題であることを話す。実際、それはそうなのである。そして、カウンセラーは信者に様々な情報を勉強するよう勧め、そのことで彼女たちや家族が問題に向かい合い、よりよく理解できることを伝える。大抵の場合、そうしてくれるのだが、カルト信者が同意したならば、脱会カウンセラーは1日から数日を裂いて、カルトやその心理的操作について話し合う。すなわち、文書資料を読んだり、ヴィデオを見て話し合ったり、こうした情報は真実なのだろうかと信者やその家族と話し合うのである。脱会カウンセラーは、自分の意見を背後に隠し持つことはしないが、カルト信者に迫ったり、操作しようとしたりはしない。本人がこうした情報にどのように応えるべきかを自己決定するのである。そして、それがカルトを脱会するというものであっても、グループに留まるというものであっても、脱会カウンセラーは本人の最終判断を尊重する。本人が脱会する場合は、カウンセラーは、脱会カウンセリングで始められた教育的プロセスを今後どのように継続していくかについての情報を示す。そして、脱会後の問題に取り組むための手助けはどこで受けることができるかを伝える。

 脱会カウンセリングには幾つかの異なったアプローチがあるが、彼女たちは家族のニーズに応えて、自分たちが知らないでいる情報をカルト信者に提供することで、手助けとなろうとするのである。本章で述べた形での脱会カウンセリングの最終目的は、カルト信者本人の判断を再建することであり、情報を与えられた上での自己決定を促すことであって、グループを脱会するようにプレッシャーをかけることではない。こうしたアプローチは、「情報中心脱会カウンセリング」と呼ぶことができるだろう。しかし、これは「プロセス中心脱会カウンセリング」、あるいはスティーヴン・ハッサン(1991年)が言うところの「計画的介入療法」、そして何らかの神学的意図(訳注:改宗を計るといった)を持ったアプローチ法とは、関連を持つものの区別される。

 本章で述べたアプローチ法に従って述べれば、脱会カウンセラーの助けを必要とする家族たちは、カルトに入信している者を救い出そうとする際、以下の6つのニーズを抱いている。

        1:グループについて評価をなし、判断を下し、家族の取りうる行動を起こす上で必要な情報を
          集めること。
        2:本人と良好な関係を保つこと。
        3:本人の人格変化や行動の変化がどの程度破壊的に進行しているか、またその破壊の範囲と
          性質について判断する。
        4:介入についての選択肢について、検討、判断する。
        5:決断を下す。
        6:決定を実行に移す。

 B.家族のニーズに応える 
 家族のニーズについて議論する前に、脱会カウンセラーが責任を負う人々とは誰であり、何時
のことであるかをはっきりさせて置かなければならない。脱会カウンセリングそのものが始まる
までは、家族(われわれは配偶者もこの範疇に加えている)がクライアントである。人生を乱され
ていると考えられる愛する家族の一員をもっとも効果的に救出するために、家族たちは脱会
カウンセリングの助けを求めて来る。脱会カウンセラーや他の専門家と面会した後、自分たち
が取るべき行動の中でもっとも適当と思われるものが、脱会カウンセラーと話をするように本人
を説得することだと家族たちが決心したときには、カウンセラーは、脱会カウンセリングそのも
のが始まった時点で、関心の中心は家族たちではなく、カルト信者に移ることを明確にしておかな
ければならない。脱会カウンセリングが家族による介入であることが中心であるにせよ、
脱会カウンセラーは家族の代弁者ではないし、家族の意志を実現するための代理人でもない。
彼女たちは情報を提供して、本人が自分のカルトとの関わりについて、情報を得た上で見直し
できるようカルト信者を手助けするコンサルタントなのである。

1.情報を集める
 カルトによる操作や特定のグループの活動やビリーフについての専門的知識によって、脱会カウンセラーは、家族が参考にすることができるような重要な情報を提供しうる。彼女たちは、家族に(書物や記事、レポートといった)文書資料やオーディオ、ヴィデオ・テープ、専門家や専門機関を紹介する。こうした情報の第一の目的は、問題と思われるグループと愛する家族の一員の身に起きたことを評価する上で、クライアントに役立つことである。

 よくあるのは、脱会カウンセラーが連絡を受けて、家族の一員が全く知られていないか、わずかの情報しか得られていないグループに入信したとの相談を受けることである。そうした場合、カウンセラーは、どのようにして情報を集めたらよいかをアドヴァイスする。脱会カウンセラーや相談家庭がグループについての情報を十分に集めることができないような場合には、脱会カウンセリングは先に進めない。しかし、このことは、脱会カウンセラーが余り知られていないカルトの信者とは合わないということを意味するものではない。本人と会った際に、カウンセラーが心がけることは、そのグループへの入信の質について判断しうるだけの情報を本人から聞くことにある。厳密に言えば、それは脱会カウンセリングではない。脱会カウンセリングは、あるグループがある個人に対して有害な影響を与えていると確実に判断されるところでなされるものだからである。
2.カルト信者とつながりを持つ
 脱会カウンセラーのところに相談に来る家庭は通常、カルト信者である愛する者との良好な関係を維持できる。なぜなら、正規のものでないにせよ、家族たちが教育されるからである。そうした教育は、脱会カウンセラーから、また専門家(牧師/神父/ラビ、精神衛生関係者)を含む様々な照会先、あるいはカルトに入信していた経験を持つ人々やその家族からも受けることができる。成功裡に終わる脱会カウンセリングは、信者の家族が十分に意志を通わせ合い、介入に効果のある(心理的なものを含む)情報源を持ち、そして介入の持つ長所と短所について真摯に取り組んではじめて可能であることを、専門家たちは知っている。従って、当該家庭の家族関係について理解しているカウンセラーは、選択肢としては脱会カウンセリングが不適当となってしまわないように、家族の一人一人を導くよう努めるのである。

 われわれは、何よりもまして、脱会カウンセリングへと進みいく家族は例外的であると理解したい。大多数の場合、彼女たちは、その家族の一員であるカルト信者と十分に良好な関係を維持している普通の家庭である。それでも、彼女たちは専門的な家族カウンセリングを受け、コミュニケーションの技術について訓練を受けることで、大きな恩恵を受けることができる(ランゴーニ、1985年;ロスとランゴーニ、1988年)。われわれは、理想的なモデルがニューヨークとロスエンジェルスにある「ユダヤ教家庭と子どもサービス財団」の傘下にあるカルト・クリニック(アディス、シュールマン=ミラーとライトマン、1984年;マルコヴィッツ、1989年)においてなされていると考えている。このモデルでは、家族は専門家(訳注:ここでは資格を持った心理療法士やソーシャル・ワーカーのこと)の面談を受け、サポート・グループ(訳注:日本であれば、相談会)に参加し、そして、必要と考えられる場合には、脱会カウンセラーに紹介される。そこでなされる準備作業は、その後に行われる脱会カウンセリングのプロセスに非常に良い備えとなる。こうした専門家による家族の準備指導は、脱会カウンセリングの成功に直ちに結びつくわけではないものの(ほとんどの脱会カウンセリングはこうしたレベルの準備までカバーしない)、心理的な家族関係の建て直しによって、本人がカルト脱会後の問題に取り組む際に大いに機能するのである。心理学の研究者がこうした仮説を検証するよう期待するものである。

 さて、ここで心に止めておかなければならないのは、脱会カウンセラーに対する家族側の評価が、人に検証メカニズムとして機能するということである。つまり、調査によって、家族は何人かの脱会カウンセラーのことを知っている者から聞いて、選択肢について吟味することができるし、直接脱会カウンセラーに連絡して、質問をすることもできるわけである。たとえば、もし家族が、何よりもカルトからの脱会に中心を置いた、非常に押しの強い助っ人を望むのであれば、これまで述べてきたような教育的で、相手を尊重するアプローチ法を採る脱会カウンセラーを選択するようには思えない。(異なった行動、すなわち脱会カウンセリング、精神衛生の専門家との面会、ただ黙して待つこと、デプログラミングを選択したそれぞれの家庭を比較した研究があれば、興味深く有益な発見を得ることができよう)。脱会カウンセリングとはどういうもので、何を家族に要求するかを理解した家庭の中には、脱会カウンセリングを遂行するために必要な人員や経済的負担が不足していることを見出す人がいるかも知れない。(たとえば、夫と妻の間で、介入成功の確率が踏み出すだけの数値を示しているかどうかで意見が対立するということがある)。カルトやマインド・コントロールについて理解した後でも、家庭によっては、脱会カウンセリング介入を行うのは経済的に負担が高すぎるとの感情が生じることもある。なぜなら、本人に脱会カウンセラーと会って話をして欲しいと申し出た際の結果を恐れるからである。そう言う訳で、脱会カウンセラーの手助けを受ける家庭の中にも、カルト関連で助けを求めてくる家族の中にも、幾つかのグループが存在することが分かるであろう。

 上で述べたような相談や準備のおかげで、脱会カウンセラーに依頼する相談家庭の大部分は、カウンセリングのプロセスに参加することができるようになる。彼女たちは、「権威主義」的であったり、「放任主義」的であったりするのではなく、ロスとランゴーニ(1988年)が「共に学びながら、支えるような(learner-helper)」姿勢と呼ぶところのものを採用する方向に行く。ロスとランゴーニによれば、「共に学びながら支えるようなアプローチを採用する親は、『私たちは娘が問題の渦中にあると思っています。そうすることが娘にとって最良のことであるならば、私たちは娘を助け出したい。けれども、先ず情報が必要です。学ぶ必要があります。そして、もし必要であるならば、私たちのものの見方や態度を喜んで変えましょう。そうすれば、助けてあげられますから。どのような行動を取るにせよ、子どもの考え方や自立心、プライバシー、理想は尊重したいと思います。できる限り柔軟で、押し付けがましくないようにありたいと願っています』といったことを語りうる。要するに、娘を助けたいと願っているこうした親たちは、自分自身を助け出しているのである」。(1988年、p.46.

 脱会カウンセリングを採用しようとしながらも、共に学びながら支えるようなモデルに従う用意のない親たちは、通常、脱会カウンセラーないしはカルト問題についてわきまえた他の専門家が提供する特別の準備段階を辿ることが必要である。また、コミュニケーション技術がまだ十分でない人たちも、この領域の教育によって得るところが大きいと思われる。
3.評  定
 前に述べたように、脱会カウンセラーは、問題のグループと本人への影響を評定するに足るだけの情報を集めることができるよう、相談家庭に協力する。カウンセリングは、以下に挙げるようなさまざまな質問子を家族と共に検討する。相談家庭のメンバーはそれらの質問に出来る限り正確に答えなければならない。

◇グループの名前は何と言いますか。
◇グループについてどのような情報をお持ちですか。
◇本人と家族の皆さんとの最近の関係はどのようなものですか。
◇行動上の、医学的な(訳注:体の不調といった)、人格上の変化で、皆さんがご心配なのは、
 どのような点ですか。(例えば、連絡がめっきり少なくなったとか、学校での成績不振とか、
 ユーモア・センスや暖かみが失せてしまったとか、いつもの調子と違う点や極めて顕著な変化が見
 ら れますか。)

◇これまでご本人のためになさった努力には、どのようなことがありますか。(例えば牧師・神父・
 ラビや精神衛生の専門家に相談したり、家族相談会に出席したり、適当な書物を取り寄せて勉強
 したりといった。)
◇この件に関して、他の家族はどのように思っておられますか。
◇ご本人の経歴や個性、他の家族や友達、上司などとの関係において、何か気になる重要な点が
ありますか。そのことをお話しくださいませんか。
◇ご本人の心理状態を含めて、彼/彼女がカルトに入信するに至った原因環境はどのようなもの」   でしょう。
◇どれくらい深入りしていますか。
◇ご本人のグループでの立場はどのようなものですか。
◇ご本人とご家族の連絡については、どのような質で、どのような手段、頻度ですか。
◇そのグループの他の信者や教祖と会ったことがありましたら、そのとき、どのようにお感じになりま したか。
◇グループがご本人との連絡を妨げるようでしたら、それはどのような質、手段によるものですか。
◇ご本人は、カルトの教えや雰囲気のどの点に共感し、またどのようなあり方に反発しているの
 でしょう。
◇ご家族はご本人にどのように接しておられますか。
◇皆さんから見て、ご本人に困った変化を生じさせるのに、グループはどのような役割を果たした
 と思いますか。

 上に示したような一般的な質問条項について言えば、ある脱会カウンセラー(また、家族の相談に乗る精神衛生の専門家)は、必要な情報を得るために質問用紙を用意して、用いている(ジャンバルヴォ、1992年;ハッサン、1988年;ランゴーニ、1983年)。

 取り上げて話し合わなければならないもっとも重要な質問は、入信以来、カルト信者がどのように変わったかということである。なぜなら、破壊的変化が本人に見られ、家族がいたく心配している場合にこそ、脱会カウンセリングを考慮する倫理的に正当な理由が家族に与えられるからである。(家族の介入に関する倫理をめぐる議論については、ランゴーニ、1985年;ランゴーニとマーチン、1993年を参照せよ)。正しく問題を評定し、誤解に基づいたり、単なる空想である心配とは区別して捉えるために、ランゴーニは以下の質問子を用いている。「もし、あなたがたのお子さん(あるいは配偶者)がカルトに入っていなかったならば、考えられる態度上の変化の中であなたがたを心配させたであろうと思われることはどんなことですか」(p.196.)。

 家族が心配するのも無理ない態度の変化が示されたならば、クライアントと脱会カウンセラーはそうした変化を生じさせるに至ったグループの役割について検討する。以下は、家族がこれはおかしいと思うようになった変化のタイプの事例である。


 事例でのカルト信者は、アイヴィ・リーグの大学に通う22才の男性である。彼が建築と美術の学位を取得するためには、学期をあと二つを終了しなければならない。ある「キリスト教系」カルトに入会する以前には、兄とのとても仲の良い関係を含めて、家族との関係は良好であった。そして、彼は大変人なつっこい性格で、友達ともよく出かけたりしたし、ユーモア・センスも持ち合わせていた。(これはこの家庭全体の雰囲気である)。高校時代と大学の初めの頃は、ガール・フレンドとよくデートしていた。
 彼は長老教会で育てられ、その後は教会の青年会の活動に参加していた。彼は、美術と音楽の才能に恵まれており、毎日のように楽器のレッスンをしていた。楽器演奏が彼のお気に入りの趣味であった。

 家族が脱会カウンセラーに相談をしたときには、彼がカルト・グループに入会してから14ヵ月が過ぎていた。家族が打撃を受けたのは、彼の身に表れた次のような変化によってであった。

◇ユーモア・センスが失われた。
◇家族、とりわけ兄に対する断定的で批判的な態度。
◇帰省したとき、引っ込んでしまって、一人でいるようになった。
◇音楽への情熱が失われた。楽器を手にすることがなくなった。
◇彼の話しはいつも聖書のことばかり。そして、家族を常に転宗させようとする。
◇外国に「伝道」に行くためのお金を出すよう家族に働きかける。
◇学位取得を中断して、退学しようと計画している。
◇単位の多くを落としており、今学期あと二つ残っている単位も危ぶまれている。
◇以前つき合っていた友達との関係を全て断ってしまった。
◇創作活動を全くしなくなった。
◇美術館や演劇を観に行くことに全然興味を示さなくなった。
◇家庭が大切にしてきた毎年恒例のクリスマス礼拝に出席しなくなった。
◇大学の寮を引き払って、「兄弟たち」とアパート生活を始め、そこで彼は床で寝ている。(訳注:ベッドではなく、雑魚寝という意味)。
◇痩せてしまった。

 こうした場合に家族が気付くような変化は、若い男性がカルトに入っていなくても起こすようなものかもしれない。従って、そのケースに脱会カウンセリングが必要だと判断されるのは、本人に対するグループの非倫理的影響の度合いがひどいと分かるような、顕著な変化が起きている場合である。心理的な問題が明らかに問題行動につながっていると疑うだけの理由があるときには、カルトの問題に詳しい心理学なり、精神医学の専門家に診てもらうことも必要であろう。

 興味深いことに、こうした特別なケースにおいては、グループについてよく知る脱会カウンセラーは、背景説明を受けただけで、判断する際、ある重要な事実を見抜くことができるのである。たとえば、カルト信者は伝道旅行の旅費を自分で負担し、グループでのリーダー的な地位には就いていない。脱会カウンセラーはこのことを見抜かなければならないのだが、こうした事実は、脱会カウンセリングを選択する上で、考慮すべき重要な判断材料を与えるのである。
     4.選択肢を探る
  家族たちが予め情報を十分に提供された上で判断できるように、選択肢についてよく考える時間が与えられる。そうした選択肢とは三つのカテゴリーに分類できるものである。
 
すなわち:
 ・たとえば、本人が脱会カウンセラーに会ってくれる希望が持てないとか、深刻な心理学上の問題をまず扱わなければならないとかいった理由で、家族は、考えられる将来のこととしては、脱会カウンセリングは適切でないと結論付けることもある。しかし、家族は、カルト信者本人との連絡や良好な関係を徐々につくり上げていくような戦略を立て、それを実行するよう努めて行く。あるいは、場合によっては、家族は、膠着し、受け入れることができないような状況を受容し、取り組んでいかなければならない。こうした脱会カウンセリングを遂行できない家庭は、カルト問題に詳しい精神衛生専門家に相談することで支えられることが多い。


 ・ある家族は、脱会カウンセリングを近い将来のこととしては適切ではないが、道のりの中でいずれ可能となるかもしれないと考えることがある。そうしたケースにおいては、時期は定まっていないものの、いつでも脱会カウンセリングに取りかかれるように、脱会カウンセラーと共に時間をかけて準備をしておくことができる。カウンセラーと家族とは、本人との通信や良好な関係を作るために共働することができる。(あるいは、コミュニケーション技術を身に付けるために、脱会カウンセラーは家族に精神衛生の専門家を紹介することもある)。彼女たちは常に新しい情報を得て、判断を更新して行かなければならない。また、本人の状況の変化について常々話し合い、そうした変化を解析して、当初の計画を練り直さなければならない。

 ・家族が介入法を試みようと決断する場合。ときには、介入法が時間的に早い段階で用意されることがある。ときには、数ヵ月をかけて準備しなければならない場合もある。時間が伸びていく理由にはさまざまなものがある。たとえば、カルト信者が難しい段階にあったり、何ヵ月も帰宅できないということがある。脱会カウンセラーのスケジュールが詰まっていて、長い間待たなければならないということもある。家庭の中で鍵となる家族が介入法を採ることに反対だったり、疑ったりということもある。また、家庭によっては、通常よりも時間が必要な場合もある。

       5.決断を下す

 脱会カウンセラーは、家族がたとえどのような決断を下したとしても、必ず脱会する保証はないことを強調して伝えておかなければならない。多くのカルト信者は、全く自発的にカルトを辞めてきている。従って、家族が何もしなかった場合でも、脱会後に話し合わなければならないカルト関連の問題を携えながらではあるが、いずれかの時点で脱会することが起こるのである。多くの場合、種々の理由、たとえば、カルトが信者に帰宅を突然禁止したといった理由で、脱会カウンセリングが流れてしまうこともある。

 脱会カウンセリングの結果についての統計的に信頼できる数字もあるが、ある特定の時点での特定の脱会カウンセリングの成功率を推し量る場合には、そうした統計は注意深く適用されなければならない。一般的に言って、大部分の脱会カウンセラーは、カルト信者が脱会カウンセラーに持っている情報を十分に提供できるだけの時間を保障してくれるならば(通常は大体3日間)、約90%の割合でカルトを脱会すると考えている。本人が、脱会カウンセラーに十分ではないが、ある程度の情報を聞いてくれた場合は、非公式な数字ではあるが約60%が脱会を決断している。しかしながら、当該のカルト信者が脱会カウンセラーに十分な時間を与えてくれるか否か、あるいは、時間が十分に与えられても、その彼/彼女がカルトを脱会する90%に入っているのか、脱会しない10%に入っているのか、それを前もって予測する根拠は何もない。

 ランゴーニ(1984年)は、デプログラミングの結果についての調査を行っているが、62例のデプログラミングの事例において、63%が脱会している。カルトに戻ってしまった37%の内、25%がその後、自分で脱会している。脱会カウンセリングに関するこうした正式なデータはないが、上記の非公式な調査が示唆しているのは、総合的可能性はそれを幾分かは上回っていることである。しかしながら、これら二つの統計の母集団は同一ではないことは、明記しておかなければならない。デプログラミングを決断した家庭やカルト信者本人は、脱会カウンセリングに臨んだ家庭や本人とは重要な点で異なっていると思われる。更なる研究が必要である。

       C.介入を効果的に行うには

ジャンバルヴォ(1992年)は、脱会カウンセリングを考えている家族のために、詳細で実際的なガイドラインを提示している。彼女は、介入前に行っておくべき次のような事項を列挙している。
すなわち:

・言ってはいけない、あるいはしてはならないこと。
・なすべきこと。
・情報を集める。
・資料を読むこと。
・どの脱会カウンセリング・チームにお願いするか、選択する。
・時期と場所について考える。
・移動や宿泊、食事についてのアレンジ。
・家族の誰が家族チームとして加わるかを検討する。
・カウンセリングを行うことをカルト信者に告げることについての打合せ。
・介入時に期待すべきこと。
・休憩の取り方やタイム・スケジュール。
・発生するかもしれない交換条件。
・介入の期間(長さ)。
・リハビリや社会復帰のための施設について。
・将来の計画について。

 家族の介入に関するジャンバルヴォの哲学は、本章で既に述べられているが、次のような視点を含んでいる。

 「家族による介入は、教育的モデルに基づく。カルト信者は、成功にしつらえられた一連の心理操作の犠牲者である。彼女たちがこうした操作についていったん気付てしまえば、通常、(目的がいかに気高いものであったとしても)他の人々に危害を加えるようなシステムの一部分となってグループに残ることを許さない気持ちに一貫してなるものである。

 様々な資料を提供する際には、本人の尊厳に配慮する形でなされなければならない。特に、カルトの資料をめぐって対決的にやりあってしまったときに被るであろう、心の傷については敏感であることが重要である。資料提供のペースも、本人がしっかりと考えることができ、同時に感情的なインパクトを処理できるだけのゆっくりしたものであるべきである。

 本人にとっての目標は、彼女/彼が自分のカルトとの関わりについて再評価することである。本人の脱会を家族や脱会カウンセラーが望んでいたとしても、それが目標ではない。情報を知った上で下す選択こそが目的なのである。

 本人がマインド・コントロールの技術について理解したときには、自分で検証し、判断する上での基本的な道具を手にしたことになる。もし彼女/彼が脱会カウンセリングとリハビリを受ける機会が得られるならば、元来被ったであろう時間やストレスはかなり軽減できる。こうした全体的なプロセスを理解しておくことは、家族にとって至上命令であり、そうすることでカルト信者本人への手助けとなる」。(1992年、pp.29-30.
1.介入における諸段階

 以下に述べる介入の諸段階は、経時間的に連続したものでも、はっきりと区切れるようなものでもない。それらは、カルト信者の感情のレベルに大きく働くところの、長期にわたりまた濃厚なやり取りを示すものである。脱会カウンセラーは、個人として知っていることや出版された情報、グループの内部文書、ヴィデオやオーデオ・テープ、脱会者の個人レポートといった情報を提供する。本人たちは、自発的に望んだ上で、こうした情報を検証する。脱会カウンセラーが提供する情報内容はケースケースによって異なり、カウンセラーによっても種々であるが、通常は次のような内容を含んでいる。

◇脱会カウンセリングに至らざるを得なかった家族の心配について。
◇マインド・コントロールの性質について。なぜなら、マインド・コントロールについて知ることは、家族が心配するところの本人の態度を生じさせた要因を理解する上で、適切だからである
◇マインド・コントロールに関連する教義上、イデオロギー上、組織上の諸問題について。そのグループの内部文書の分析といった、カルト信者には通常手に入らないような情報を含む。
◇一般に共通するカルト脱会後の問題と援助団体について。

 こうした情報は、通り一遍の仕方や教えてやるといった態度では提供されない。脱会カウンセラーは、カルトの心理操作がいかにカルト信者の理解の道筋を歪めているかを知っているので、情報をていねいかつ手際よく提供するにはどうしたらよいかをわきまえている。


イ.脱会カウンセラーが紹介される

 介入の初めに、家族は、脱会カウンセラー(一人か複数か)をカルト信者本人に紹介する。脱会カウンセラーは、目的が何であるかをまず説明することで、本人を安心させるように努める。彼女たちは、本人がカルトに入会していることで家族じゅうが心配しており、そのことに対処しようとしてここに来ていることを強調して説明する。カウンセラーは専門的な知識を持っているので、家族の心配を適切に伝えることができる。彼女たちは、カルトに入会することにも多くの良い点があることを否定しない。それ自体生き物のようである、本人との親密な関係を築くために、脱会カウンセラーは自分たちが正直で、喜んで聞く用意があることを伝えなければならない。しかし、カウンセラーの視点からは、カルト信者本人は、十分に知った上でカルトを評価するだけの情報を持っていない。さらに言えば、長い時間グループと関係を持っていたために、批判的に考える能力、ひいては純粋に自分自身で判断する力が失われている。脱会カウンセラーの主たる目的は、本人や家族と共に、適切な情報を検証することであり、論争したり、「説得」したりすることではない。情報そのものが語るのである。カルト信者は、そうした情報が自分の人生にとってどのようなインパクトを持つのかを考えた上で、決断する。

 ある脱会カウンセラーが他の者たちよりもディベートなり論理的な議論を行うことを望んだとしても、道義的に振る舞うのであれば、それは長広舌をふるったり、カルト信者を侮辱したことにはならない。言い換えれば、道義的な脱会カウンセラーは、激しい形のドラッグ「カウンセリング」のようなものや、カルト・グループと同質の攻撃的な「対決姿勢」の類いを取ることはない。もちろん、カルト信者本人が、カルトで習ってきた対決的なテクニックをもって、家族や脱会カウンセラーを攻撃したりした場合には、ある種の対決をすることもありうるが。
ロ.敵意、否認、解離
 脱会カウンセリングの期間中のどの時点においても、カルト信者は敵意や否認、解離といった状態を示すであろうが、一般的に言って、こうした反応は、特に介入の初期の段階に顕著に現れる。脱会カウンセラーがどんなに相手を尊重し、心を開いた態度で接したとしても、本人は少なくとも無言の敵意を示すのが典型であろう。また、たとえば、カウンセラーの背景についての情報を更に要求してくることもあろう。

 こうしたギヴ・アンド・テイクのやり取りの間に、カルト信者は、ある種の事実や記憶について否定したり、覚えていなかったり(たとえば、「私はこれまでそうしてきたように、家族とは連絡をちゃんと取りますよ」と言ってのけたり)することがある。否認的態度においては、事実や記憶が抑圧されていたり、無言の抑圧をもたらすような仕方で再解釈されたりする。しかし、かすかな認識は残されている。後に、本人が否認する必要を感じなくなったときには、彼女/彼は前に話したことを「取消す」ことができるのである。たとえば、デュブロウ=アイクル(1989年)は、ハレ・クリシュナのデプログラミングについての議論の中で、カルト信者は最初の段階では人々からお金を得て生活していることを否定するが、後の段階ではそのことを認めるようになると記している。同様に、映画『ムーン・チャイルド』では、信者が「聞く用意の無いような者には真理を述べることはできない」と言いながら、人々に対して嘘をついているとの指摘に対して、反発するシーンが映し出されているが、後には自分がしたことが嘘付きであったことを認めている。

 否認期においては、カルト信者は彼女たちが話していることが虚偽であるにもかかわらず、自分たちが故意に嘘を付いているとは思っていない。われわれが「否認」という用語を使うときには、それは無意識のごまかしであり、嘘を付くことは無意識のごまかしなのである。

 カルト信者が経験の抑圧なり極端な再解釈を通して、虚偽は全く無いと否認する傾向こそが、脱会カウンセリングにおいて扱われるべき根本的な否認的態度である。カルト信者は、目的が正しければ手段は選ばなくて良いのだというビリ−フを強く信じ込まされているがゆえに、嘘を嘘として見つめるのではなく、「天のごまかし(訳注:統一協会が言う『天法は地法に勝る』の英語版)」なり「超越的トリック」、あるいはその他何でもよいのだが、そうしたものとして合理化してしまう。しかし、いったん本人がこうした見せかけの論理を問い始めると、彼女/彼は、カルトがその上に依り頼んでいるあくなき嘘の山に気付くことができるようになるのである。

 解離ということについて言えば、カルト信者は事実や記憶を抑圧している訳ではない。一時的なものであるにせよ、そうした記憶を思い返せないのである。なぜなら、こうした事実や記憶が意識から「抜け落ちている」からである。こうした脱落には理由があるが、否認したり嘘をついたりする場合と同様に、本人の気質に基づくわけではない。たとえば、催眠術のために用られる儀式の間に、カルト信者は、ある体験、たとえば、訓練中、教祖が詠唱する「わたしと君とは一体なのだ」とのフレーズの調子が、教祖との一体感を知らないうちに身に刻み込んているといった体験を、その都度記録していたり、「暗号化」して書き付けているわけではないだろう。脱会カウンセリングの席上、カルト信者が、教祖はあるイヴェントでは操作的ではなかったと言う時に、それは本人の視点からは全く正直な言い方なのかも知れない。不愉快に思える事/真実について、それを否定する者はいない。ただ、そのイヴェントで行われていた心理操作について、気付いていなかっただけである。

 しかし、カルト信者は、振り返って「物事をすべて全体のものとして」考え始め、カルトによって内省的、批判的思考法が減退させられたり、トランス状態への誘導術によっていかに自分が気付けなくなっていたかを理解することができる。こうした意識の減退のゆえに、脱会者たちは、グループの教理やイデオロギーをいつどのようにして受け入れるようになったかを正確には描述できない。すなわち、そうしたプロセスが彼女たちの意識から解離され、「抜け落ちて」いるのである。

 否認と解離とは区別がつき難いものだが、その相違点を心に留めておくことは大切である。なぜなら、本人に批判的なものの考え方が戻ってきたときには、それぞれに異なったアプローチが必要だからである。否認を扱う際には、忍耐がもっとも適した対処法であろう。脱会カウンセラーは、カルト信者の拒絶をよく忍耐し、根気よく情報を提供し続ける。本人がカウンセラーとの接点を示し始めたある時点で、脱会カウンセラーは、当初本人が拒否した問題にもう一度戻り、それを検証し直すのである。本人の理解が進展するにつれて、否認する必要性は減じていく。解離に関して言えば、情報を辛抱強く示していくというプロセスは同様だが、なぜ本人の知覚力が減退したかを理解し始める前に、ある種の情報、すなわち催眠術に関連したマインド・コントロールの技術について話し合っておかなければならない。解離が起きているようであれば、話し合っている問題点を、記憶されている経験にもろに直面させるためにではなく、それらを分析し、再解釈するために再検討するのである。
ハ.抵 抗
 元カルト信者が脱会カウンセラーの提供する情報に対して抵抗を示すようであれば、それは良い兆候である。なぜなら、抵抗は、本人がそれを拒否するというより、ただ問題を避けようとしているだけの否認的態度よりは軽いものだからである。話題をそらそうとしたり、重箱の隅をつつくような議論をし始めたときが通常、抵抗のサインが現れたということである。

 脱会カウンセラーは、抵抗という感情的なメンセージ、すなわち「この話は私を不愉快にする」というメッセージを尊重する。本人に迫ることはしない。
なぜなら:

 ・彼女たちの接近方法は本人を尊重することが前提になっているからであり、
 ・本人に迫ることは、恐れの気持ちのレベルを押し上げることになってしまい、感情的な不快さを取り扱う手段としての拒絶的態度に仕向けてしまうからである。そうではなくて、脱会カウンセラーは、抵抗というものにただ注意を払いながら、情報についての話合いを続けていくのである。本人が抵抗を示した話題に戻ることができるようであれば、もう一度議論をすれば良い。その情報に本人がもはや脅威を抱かないようであれば、抵抗の気持ちは失せたと考えられる。
ニ.関 心
 カルト信者が情報について質問をし始めたり、更に情報を求めたときには、関心を示しているのであり、それは間違いなく次の段階に入ったことを示すものである。本人が関心を示していることを表すその他の兆候には、敵対的態度が穏やかになり、暖かみややさしさを帯びてきたり、感謝を言い表したりといったカウンセラーとの関係の質的変化が含まれる。また、求められなくても資料を読み始めたり、脱会カウンセラーが退出した後も寝ないで資料を読んだりすることも含まれる。
ホ.参与(受容)
 参与(受容)は、ある意味で、興味深い複合的状況である。情報を更に求めてくることに加えて、「乗ってきた」カルト信者はこちらに情報を提供し始めるのである。たとえば、まだグループに残っている友達に対する心配の気持ちを表わしたり、これまでは否定していたグループの問題を暴露したりする。まだ脱会カウンセラーに賛成という訳ではないにしても、(脱会カウンセラーは心を開いて、物事を点検しようとするあり方を目指すのであって、同意を要求するのではない)、そうした不賛成も敵愾心のようなものではない。この時点では、カルト信者は真理の探求に乗り出したのであり、脱会カウンセラーの示す情報に単に積極的に、あるいは否定的に応答しているだけなのではない。

 脱会カウンセリングに本当に取り組むようになったとき、カルト信者は、世界を黒か白かで眺めることを停止し始める。物事を複眼的な視点で見る力量を示し始める。別の視点で見て初めて分かるような、内側に潜んでいた論理を見出し始める。それらには彼女たちが賛成できなかったものも含まれる。これは決定的な変化である。なぜなら、カルトは、唯一正しいものとして一つの観点しか示さないからである。本人が、カルトの視点も一つの見方に過ぎないことを発見したときには、その視点の「正と否」を考えることができるようになっている。この段階における脱会カウンセラーの目標は、カルト信者にある一つの視点に立つよう押すことではない。そうではなく、首尾の一貫した見方や自分で選び取った観点、そして、情報を与えられたところで判断を下す見方ができるような基礎を敷くための、異なった観点の優れた点とおかしな点とを本人が見ることができるよう援助することにある。
ヘ.関連を付ける
 カルト信者が情報の断片を自発的につなぎ合わせ始めたとき、参与の段階は非常に良いレベルに達したことになる。本人は異なった視点の正否を見始めたばかりでなく、それらを評価、比較し始めたのであり、少なくとも脱会カウンセリング成功のしるしである首尾一貫した見方や自分で選び取った観点、そして知らされた上で判断を下す見方をし始めたのである。自分自身で考え始めたのである。

 皮肉なことに、長期間カルトに入会していた信者は、脱会カウンセラーの示す情報に比較的短期間で反応することがある。なぜなら、彼女たちにはカルトの「闇の部分」を見る機会があったからである。一方、まだ「蜜月段階」にいる最近入会した信者は、彼女たち自身の経験と余りに違っていると思われるがゆえに、カウンセラーの示す情報に信頼を置くことが難しい場合が多い。
 本人たちが情報をつなぎ合わせている状態にあることを示す兆候には、次のようなものがある。

◇異なった視点を認めると同時に、それらに感心するような仕方で外の世界を眺め始める。たとえば、家族が脱会カウンセラーを頼んだことを悪魔の支配としてとらえるカルトの「黒い」見方ではなく、家族愛の多面的な表現の一つとして理解し、家族のそのような行動に対して感謝の気持ちを感じ始める。
◇自分たちが被害を受けたことに本当に気付き始め、その結果として、家族のこれまでの行動を誤って解釈する方向へと、いかに心理操作されていたか理解するに至る。
◇新しい情報を、マインド・コントロールに関連する影響力の巧妙なテクニックと自発的に結び付けて考える。たとえば、「それこそが一つのメタファーの内側に潜むメッセージの例ですね」と言ったりする。

◇グループがどのようにマインド・コントロール技術を用いていたかを自発的に実演してくれる。
◇拒絶や抵抗、無視といった態度を自分が取っていたことに気付き、それを認め始める。
◇知的な意味での別の道(訳注:教義上、あるいは頭で誤りを認めること)ということばかりでなく、本人が自分で下す実存的な選択としてグループに対する別のあり方を考え始める。

 こうした態度や考えを本人が示し始めたならば、グループから離れることは間近い。もし、脱会カウンセリングが正しい仮説に基づいていたのであれば、すなわち、カルト信者が極めて操作的なグループの悪い影響を受けていたのであれば、グループに戻るという決断を本人が自分で下すことはほとんど起こらない。通常カルトに舞い戻ってしまう人がそうするのは、グループに残っている人々との非常に強い結び付きのゆえにであるか、戻っても自分はマインド・コントロールについての知識を得たので、自分の自律レベルを保つことができると思ってしまうゆえか、あるいはグループ外で新しい人生をやり始めなければならないことについて全く自信が持てないがゆえにかである。

 本人の最終決定については、脱会カウンセラーには期待していることがあるわけだが、それがどのような決断であっても尊重する。本人がグループに残ることを選んだ場合は、脱会カウンセラーは、本人、そして家族に、自分の自律的判断を強化するために使うべき知識を今や持っていることを念押しし、そして家族との関係を十分に取るように勧めることとなる。本人がグループを脱会することを選んだ場合には、実際「物事を結び付けて考える」段階まで至ったケースの大多数がこの決断を下すのだが、脱会カウンセラーは、今後起こってくる問題や助けとなる資料や手立てについての情報を提供する運びとなる。
2.報酬に関するノート
 通常、脱会カウンセラーは、他の一般的カウンセラーにかかる費用と大体同額の一日当たり 500ドルから 1,000ドル(訳注:邦貨で約55,000円から 110,000円、1ドル=110円として計算)、プラス諸経費代を報酬として請求する。(※これはアメリカでのカウンセリングに必要な報酬であり、基本的に日本ではボランティアとして活動している。ただし、当マインドコントロール研究所では1時間3千円です。)こうしたカウンセリングの費用について余りよく知らない人は、この金額を聞いて驚いてしまう。しかし、そうした金額を考えるに際しては、幾つかの事柄に留意する必要がある。第一に、脱会カウンセラーは、カルトの最近の動きについて常に把握しておかなければならず、そのことにかなりの時間を費やしている。それは他のコンサルタント以上のことである。彼女たちは、こうした作業については収入を得ていない。第二に、多くの脱会カウンセラーは、準備の段階での電話相談などには費用を請求しない。第三に、多くのカウンセラーがカルト脱会者のための無料相談やワークショップを行っている。第四に、カウンセリングを行う際には、一日に12時間から16時間ぐらい根詰めて働かなければならない。そして、いつでも「呼び出される」状態で待機していなければならない。第五に、ほとんどの脱会カウンセラーは毎年、社会教育や専門教育の現場での奉仕に、何百時間もの時間を割いている。第六に、言葉による嫌がらせや攻撃によって脅迫されたり、少なくとも出たら目な裁判に訴えられる危険性を常に帯びている。最後に、脱会カウンセラーは、ほとんどのケースでは、自分自身がカルトに入っていたという経験を含めて、何年にもわたる研究と準備を必要とする専門的な知識と技術を有する者たちである。ただ「コースを受講する」ことで簡単に有能な脱会カウンセラーになれる訳ではないのである。

D.脱会カウンセリングとデプログラミング

 「脱会カウンセリング」と「デプログラミング」との重要な相違点は、後者がカルト信者を物理的に軟禁する、少なくとも初期の段階で、自宅やホテル、キャビンなど適当な場所に軟禁する点にある。それに加えて、更に次の三点を指摘することができる。

 第一に、脱会カウンセリングにおいては、カルト信者との信頼関係が短期間で築かれなければならない。そうでなければ、信者は立ち去ってしまう。一方、デプログラミングにおいては、たとえ複数のデプログラマーが脱会カウンセラーと同じく謙虚で礼儀正しく接したとしても、デプログラミング状況下では信者との信頼関係は困難である。しかも事実、デプログラマーの多くは、必要以上に敵対的に振る舞っている。

 第二に、デプログラミングを受けるカルト信者は、その物理的な軟禁のために、脱会カウンセリングを受ける者に比べて、感情を荒立たせることが多い。彼らは、デプログラマーや両親に対して、罵ったり、侮蔑したりする。威嚇したり、暴れたりする。また、グループに連絡を取ろうとして病院に運ばれるよう自殺を謀ったり、自分の体を傷つけたりする。こうした行動は、温厚なタイプのデプログラマーにとっては忍耐力が試されることになろうし、対決的なタイプの場合には、破壊的な言辞や態度へとエスカレートしてしまう。たとえ、デプログラミングによるケースのほとんどが脱会につながっているとしても(ランゴーニ、1984年)、大勢の脱会者と接している心理療法家の指摘によれば、「成功した」デプログラミングには厳しい後遺症が残るのである。

 第三に、デプログラマーの多くが、カルトの中では得られない情報を聞くためには、物理的な軟禁も必要であると、まるで「取りつかれたかのように」思い込んでいることである。軟禁も必要であるという見方は、場合によっては真実であるかも知れないが、脱会カウンセリングが成功を収めている以上、正当化できるものではない。実際、デプログラミングには、カルト側の敵意や実力行使をあおる傾向がある。デプログラマー自身がデプログラミングによって惹き起こされた相手の感情に相乗して、脱会カウンセラーがそうである以上に、カルト教団やそのリーダーを集中的に攻撃する傾向を持ちやすい。更に、デプログラマーは、カルト信者が強力なマインド・コントロールの解除を受け入れるよう、あらゆる精力を傾けて迫るというのが大体の傾向である。そうでもしなければ、カルト信者を軟禁することの正当性が証明できないからである。デプログラミングは、その解除の対象であるマインド・コントロールそのものと幾点かで相似しているが、次の二点においては相違する。すなわち、デプログラマーは、自らのビリーフ・システムをカルト信者が受け入れるよう説得しないという点。更に、デプログラミングが終了した後、カルト信者の行動をコントロールしようとはしない、という点である。それは、あるデプログラマーが次のように述べている通りである。「私は菜食主義を信奉しない。しかし、カルト信者に肉を食べさせようとも思わない」。(デュブロウ=アイクル、1989年)

 脱会カウンセラーのほとんどは、倫理的そして実践的観点から、デプログラミングを容認していない。しかし、その一方で、特別なケースにおいては、デプログラミングも両親にとって倫理的に許される最後の選択であると考えている。家族はしばしば、脱会カウンセリングではうまく行かないのではないかと危惧したり、愛する家族の一員がさしせまる肉体的危険の中にあると思えてならない時には、デプログラミングしかないと考えもしよう。カルトは、メンバーを外国に派遣したり、メンバーの所在を家族に伝えることを拒否したりする。従って、家族は、本人を最終的に確保できた時点で、デプログラミングを選択するのである。ケースによっては、カルト信者がそれまでのカルト活動の影響から、精神病的様相を呈したり、身体的な病気に陥ったりすることがある。そういったケースにおいては、デプログラミングも倫理的に、また法的にも擁護されるのかも知れない。

 両親がデプログラミングこそ取りうる最後の選択肢であると判断した時、法的問題が起こりうる。(たとえば、デプログラミングが失敗に終わった場合、子どもやカルトが両親を訴えたり、刑事事件になったりする可能性である)。すなわち、自分たちが起こした行動について、その正当性を弁明しなければならない重圧が両親とデプログラマーにのしかかる可能性を承知しておくべきである。家族やデプログラマーは、訴えられたり逮捕されたりした場合、たとえばカルトに入ることで本人が被るダメージの深さのゆえに、デプログラミングという極端な行動を取らざるをえなかったのだ、といった弁明を試みることになる。こうした弁護を裁判所が受け入れる場合もあるが、退けられることもある。例え弁護が法的に成功したとしても、そのためには何百万円ものお金がかかることを知っておくべきである。

 デプログラミングとマインド・コントロールの倫理的かつ法的問題を検討したランゴーニとマーチン(1993年)によれば、カルト信者にとって、カルトによる危害の危険性が大きければ大きいほど、そして保護の仕方がよりゆるやかで、成功率が低ければ低いほど(本人の意志で去りやすい)、デプログラミングに対する倫理的擁護性は高まると考えられる。しかし、倫理的に擁護できるからと言って、そのことが法的猶予を保証するものではない。

 デプログラミングが議論を呼ぶ理由には、説得の際の攻撃性が挙げられる。デプログラミングに対するカルトの宣伝は過剰にヒステリックである。(たとえば、デプログラミングを警察の取り調べ時の拷問になぞらえたりする!)また、性的な虐待や肉体的虐待の事例については、報告されたことはない。

E.脱会カウンセリングにおける幾つかのアプローチ法について 
 どの脱会カウンセリングのアプローチ法も、カルト信者との信頼関係を築こうとする。そのことを通して、信者がよりよい情報を得て、カルトとの関わりについて再評価できるよう援助する。なぜなら、カルトは信者を搾取的に操作していると、われわれは判断しているからである。(そうでなければ、誰も脱会カウンセリングなどに関わりはしない)。ハッサンは、信者が次の点において罠に嵌まっていると述べている(『マインド・コントロールの恐怖』1988年)。
すなわち:

・彼らには選択の余地がなかった。(われわれは更に厳密に、彼らには複数の選択肢が告知されておらず、その結果、心理操作された、と言っておく)。
・他のカルト・グループの信者も同様の罠を経験している。
・その罠からの脱出は可能である。

 ハッサンによれば、脱会カウンセラーの仕事は、その罠から導き出すために、カルト信者の内側に変化を引き起こすことである。「カルト警戒網」の1991年度年次総会において提出された論文の中で、ハッサンは、脱会カウンセラーはデプログラマーとは異なって、「強制力を加えない巧みなやり方(finesse )で効果的な変化をもたらす」と述べている(『計画的/戦略的介入法デプログラミングよりも優れた脱会カウンセリングの新手法』)。

 この表現は、デプログラミングと脱会カウンセリングを区別するだけでなく、更に脱会カウンセリング内を区別する三点を含んでいる。前に述べたように、脱会カウンセリングは強制力を行使しない一方、デプログラミングにおける力の行使は、脱会カウンセリングとは大いに異なる結果をもたらす。次に、脱会カウンセリング内の相違は、変化を「効果的にもたらす」(effect)方法なのか、それとも変化を「招く」(invite)方法なのかということである。つまり、「テクニック」の効果的な用い方、すなわち「巧みなやり方」に依存する方法なのか、それとも「情報提供」に信頼を置く方法なのかという区別である。脱会カウンセリングは、テクニックを巧妙に用いることでより効果的に変化をもたらすのではなく、情報の提供によって変化を「招く」ようなあり方であるべきだと考える点において、われわれのアプローチは他のものとは異なる。

 前文の「あるべき」という語は、熟慮の上選んだ表現である。それぞれの方法論は、どれだけ効果的な変化をもたらすかといった観点から評価されてはならず、倫理的判断が下されなければならないのである。われわれは、このアプローチが他のものより効果的であると主張するものではない。どのタイプがより効果的なのかについての科学的データは、どこにも存在しない。また、われわれは、他のアプローチが非倫理的であると示唆するつもりもない。しかしながら、ある点において、もたらされる変化の効果性を強調するようなアプローチについては、問題を感じるのである。

 このように、「変化指向」の方法論にわれわれはくみするものではないが、それはまた、キリスト教における伝道の倫理性についてなされた問題提起と比べることができるかも知れない。『カルティック・スタディーズ・ジャーナル』の特集号がこの問題と取り組んだ。(特集「カルト、福音派」1985年)

 全ての寄稿者が賛同したことは、どんなに効果的なものでも、倫理的に問題がある場合には、それは抑制されなければならないことである。すなわち、結果さえ良ければ何をしても良い、訳ではないということである。しかしながら、一体どのあたりで倫理的な線引きをするのかという点においては、一致を見なかった。「キャンパス・クルセード」のマーク・マックロスキーは「説得」ということを強調して、こう言う。「従って、キリスト教の伝道者は、恥じることなき、そしてまた良心的な説得者なのである。「恥じることなき」、それはわれわれのメッセージがよき音ずれであるがゆえにであり、良心的、それはわれわれのメッセージの持つ緊急性のゆえである」。(上記特集、p.308.

 他方、ジェームス・レバー神父(同特集)は、「説得」ではなく「招き」を強調する。それは、ダラス神学校のA.デュアン・リトフィンが次のように述べている通りである。「任ぜられた伝道者(説教家)として、彼女/彼は、全力を傾けて、あらゆる者が聞き、あらゆる者が理解しうるよう努力する責任がある。しかし、聴衆がどのように応答するかは伝達者の問題ではない。彼/彼女は、聴衆が自分の期待通りに反応するよう説得するためには召されていないからである」(同特集、p.272.)。

 カルト信者は、カルトからの説得を受ける際に、相当のプレッシャーをかけられて犠牲になっている。従って、脱会カウンセラーは、説得という手法を絶対的に避けられないにせよ、脱会カウンセリングを説得中心のものとはすべきではない。脱会カウンセラーは、「効果的な変化」をもたらすことに使命感を感じてはならない。効果的な変化をもたらすために「策を弄する(finesse )」ような、説得技術を習得することにも使命感を感じてはならない。脱会カウンセラーが集中すべきことは、信者が総合的な理解を得られるよう、直面する問題に関する情報を提供することである。人間として誠実であるためには、信者がグループを脱会するようにとの期待を背後に隠し持っていてはならない。脱会への期待は、隠された本音としてではなく、開かれた招きとして伝えられるべきである。

 われわれが賛成しかねる方法論を採用する脱会カウンセラーの中にあって、ハッサンは最も傑出した人物である。彼もまた、カルト信者に情報を伝達し、その結果、彼女たちが自分の頭で考えるよう援助することに傾注している。彼は、自らの方法を「計画的/戦略的介入法」と名付けている(『計画的介入法』1991年)。彼は、れっきとしたカウンセリングを行っていると強調しながら、次のように述べている。「私にとって最も重要なことは、彼らが自分自身の頭で考えられるように導くことである。従って、私のビリーフ・システムを信者に押し付けるようなことは、注意深く避けなければならないと考える。私の役割は情報を提供することであり、必要に応じて個人ないし家族カウンセリングを行うことであり、更に家族のコミュニケーションに寄与することである」(『マインド・コントロールの恐怖』p.115 )。続いて彼は、そのアプローチが「変化の過程」(p.123.)に照準を当て、家族カウンセリングに中心を置きながら、人間の4つの基本的ビリーフに対応したものであると述べる。
すなわち:

1.人間は成長を必要とし、またそれを求めている。
2.人間は、今この場所という時空に中心を置いている。
3.人間は常に、その時点において最良であると自らが思うものを選択する。
4.一人一人がかけがえのない存在であり、また一人一人の状況は異なっている。
  (
pp.121-122.

 しかしながら、これらの4つの基本的ビリーフに関する記述は曖昧で、むしろ「人間主義心理学(humanistic psychology )」の領域によく見られるカウンセリング法と言ったほうがよいであろう。多くの人間主義的カウンセリングと同様に、ハッサンの方法は、微妙にではあるが、構造的に方法論的な曖昧さを抱えており、その結果、信者をかえって心理操作してしまう危険性を含んでいる。ハッサンはこう述べる。「私のアプローチの基礎は、マインド・コントロール・グループに相当深く関与してしまった者でさえ、心の深い奥底には、脱会したいとの願いがあると確信することである」(p.122.)。この確信は真実なものであろう。しかし、それは同時に、カウンセラーがカルト信者以上に本人が「本当に」願っていること(これもまた真実であるが)を知っているということを意味する。従って、カウンセラーがよほどの注意を払わない限り、自分の「成長のために」カウンセラーは手助けしてくれていると信者が誤解している間に、「心の深い奥底で願っている脱会」をもたらすような変化が効果的に引き起こされ、ポイントA(たとえば、「家族がそう望んだので、あなたと話しをします」といった段階)から、ポイントB(「カルトを脱会します」といった段階)まで、心理操作によって運んでいるのかも知れないのである。信者は脱会カウンセラーの助力を自ら「訪ね求めてきた」訳ではないのだから、こういった心理操作の倫理性は疑われても仕方がない。

 情報中心の脱会カウンセリングでは、目的が情報の提供、すなわちディスカッションやビデオ、そして文書資料の点検にあることを告げる。われわれは、個人の行動を意図的に変化させるようなテクニックを自覚的に避ける。つまり、カルト信者が予告されず、同意もしていない目標に持って行くことはしない。われわれが用いるテクニックの主眼は、教育的な情報の提供であり、行動の変化を指向したものではない。

 倫理的に抑制されたこの方法では、脱会の確率が減るのではないかと考える人々がいるかも知れない。多分そうであろう。しかし、われわれの経験によれば、どちらの立場であるにせよ、一方的な議論を裏付ける科学的証拠は得られていない。たとえ、証拠が得られたとしても、守るべき倫理を踏みにじりつつ、つまり「結果さえ良ければ何をしても良い」とばかりに振る舞いながら、カルト信者に対して、どうぞ自由社会にお戻り下さいなどと「招く」ことは、良心に照らしてとても出来ることではない。

 ハッサンのアプローチには心理操作性が含まれるというわれわれの批判に対して、彼はそれを言い過ぎだと述べている。(19921217日になされたM.ランゴーニとの個人的会話)。しかし、彼もまた、戦略的介入法やいずれのカウンセリング法にも心理操作を含む危険性があることに気付いており、カルト信者が「成長する」よう援助する際には、一歩一歩進むことで、この危険性を最小限に留めようとしている。信者をポイントA(現在いる地点)からポイントB(カウンセラーによって設定されたゴール「カルトを脱会します」)へといきなり運ぶのではなく、ハッサンは先ず、ポイントAでの仮のゴール(これをゴールA1と呼んでおく)を設定した上で、信者をこのゴールに向けて手助けする。続いて彼は、次の仮のゴール(A2)を設定した上で、このゴールに到達するようカウンセリングする。その連続の結果、信者は最終的にはポイントBに着地するのである。ハッサンは、「現在」に集中し続けることで、見え透いた操作性を帯びることなく、効果性を主体とした方法論を取りうるのである。更に言えば、彼は、脱会カウンセリングを「家族カウンセリング」として可能な限り位置付けようとするが、そのことによって、信者の要求と家族の要求とが否応なしに結び付けられてしまう。そもそもは両立しえない問題、たとえば信者が家族に対して愛情や入信を容認するよう求めて来ることと、それに対して家族は十分にコンタクトを取りたいなど、これらは両立しない事項であるが、彼のやり方ではそのような両者の違いを際立たせてしまう。こういった対立的な問題を扱いながら、同時に信者をグループから遠ざけて行かねばならないのである。

 このような批判に加えて、幾つかの点でハッサンの方法論に問題を感じている。第一に、彼のアプローチが含む心理操作性について、彼自身の問題意識が著作には十分に反映されていないこと。われわれは、このことが次の著作においては正されるよう確信したい。第二は、ハッサンの著作に多くを頼ろうとする脱会カウンセラーやカウンセラー志願者、精神医学関係者は、必ずしも、操作性の持つ問題について敏感ではないという問題。結果として、「招き」ではなく、「効果的変化」に重点を置いてしまう危険性がある。第三に、彼の計画的/戦略的介入法では、どんなに純粋に関わったとしても、本人の内部に過剰に入り込みすぎるという問題が生じる。オフシェとシンガー(1986年)が指摘するように、カルトは自己の中心要素を操作するものである。

 われわれの見解では、この「マインド・レイプ」が与える傷と問題の重要性に照らすならば、脱会カウンセラーは、効果的変化を目指す方法ではなく、招くあり方に徹すべきなのである。第四に、家族カウンセリングの枠組みに脱会カウンセリングを位置づけることは、脱会カウンセリングの成功のためには通常、必要ないという点を指摘しておく。

 しかしながら、家族カウンセリングに関心のない家族が情報中心の脱会カウンセラーを求め、家族カウンセリングを必要と考える家族が、自己選択として、ハッサンのカウンセリングを希望することはありうる。家族が予め説明を十分に受けた上で判断できるというのであれば(全ての脱会カウンセラーは家族に予め十分に説明する責務があるのは当然だが)、「利用者」が幾つかの選択肢を持てるという意味で、脱会カウンセリングに幾種かの方法があるのはプラスなのかも知れない。

 われわれが以上のようにハッサンを批判しえたのは、彼がその方法論について詳細に述べているからである。その他の変化指向のアプローチにも、幾つかの点で問題を感じるものがあるが、それらは記述されていないので、ここでは扱えない。それは、「効果的」変化指向に加えて、ある特定の神学的視点ないしは信仰へと彼らを引き入れるものである。問題はやはり、「招くあり方」と「説得するやり方」とをめぐってであって、ここでもわれわれは「招き」に重点を置く。

 このことに関する情報がほとんど伝聞に基づいていたり、確証の得られないものであったりするので、誰かを名指しで批判することはできない。むしろ、脱会カウンセリングの方法論をめぐる検証の枠組みとして、われわれの批判が用いられることを望む。更に、明確にしておくが、変化指向の神学的アプローチを持つものには、キリスト教グループばかりでなく、ユダヤ教、あるいは非西洋的グループも含まれている。(たとえば、ラジニーシ・グループのような多くのカルト・グループは、既にカルトに入っている人々を対象にした勧誘プログラムを持っている)。更に、カルト信者を対象にした福音派の伝道(エンロースとメルトン、1985年)を批判しているわけではないこと強調しておきたい。信者に福音を語ることで、ときには脱会へと導かれるかも知れない。われわれが問題を感じるのは、脱会カウンセリングのコンテキストにおいて、心理操作の手法を用いて福音を説く(あるいはある特定の神学へと持ち運ぼうとする)者がいることである。われわれは、脱会につながりさえすれば、どんな方法でも脱会カウンセリングに含めるといった大ざっぱな立場は採らない。

 われわれは灰色ゾーンにいるのである。伝道家は、通りで福音を語りながら、カルト信者の関心を引き付け得るかも知れないし、仮定的に言うならば、これまで述べてきたような情報中心の脱会カウンセリングに似かよりながら、更に長くて集中的な対話に入っていくことがあるのかも知れない。色々な立場の信仰に立つ者が、善きサマリア人的に、自殺を考えている者に道端で話しかけるということも起こり得るし、精神医学の専門家が「危機介入」と呼ぶようなことと似たことを成し得るかも知れない。しかし、善きサマリア人は、通りで出会う人とは職業的関係にないが、脱会カウンセラーは信者と職業的な関係にある。このことは決定的な違いである。なぜなら、職業的立場に立つ者は、倫理的によりわきまえていなければならないからである。

 「改宗」という神学的な意図を持つ変化指向の脱会カウンセリングは、全ての脱会カウンセリングが基本とすべき点、すなわちインフォームド・コンセントに反するがゆえに、不適切であるとわれわれは考える。たとえば、あるカルトに数年も関わっていた信者がいて、脱会カウンセラーに数日間会ったとする。そこで、信者はグループについての情報を検証するよう求められ、家族は今から起こることを本人に「予め知らせた上で(informed)」そのことを勧めたとする。そこで、脱会カウンセラーが現れて、予め知らされた上で下す決断こそが重要なのだと一方で語りながら、他方同時に、せいぜい数時間から数日間の議論で、カルト的観点から別の宗教的観点(たとえば伝統的宗教)へと、自分の意思によって彼()は変わったのだなどと、どうして主張しえようか。ほとんどの信者が脱会後、かなり長期にわたって心理的に不安定で指示を受け容れやすい状態にあることを考慮するならば、この問いは決定的である。信者は、人生の重要な決定を権威的人物に委ねることに慣れてきたのである。もし、脱会カウンセラーが倫理的であろうとするならば、本人の気付かないうちに、カルトの権威的指導者にとって替わり、彼らの不安定さを利用し、あれこれの信条へと心理操作するようなことは決してしてはならない。

 ある者たちは、情報中心の脱会カウンセラーについて、確かに本人は脱会するが、新たな信仰体系(ビリーフ・システム)を提供することをしない、と批判する。その通りである。しかし、彼女たちは、職業的な立場としての脱会カウンセリングにはわきまえるべき線があるのだという重要な点を見過ごしている。脱会カウンセリングは、カルト信者が自らとカルトとの関係に関して、予め説明を受けた上で、自分で決定できるように援助することに焦点を当てる。また、神と本人との関係がカルトによって利用されていたり、奪われていたり、歪曲されていたりする場合には、その点についても対処する。従って、信者と神との関わりを軽視するつもりはない。むしろ、脱会者にとって、霊的問題の解決は、多くの者にとっては困難で重要な問題なのである。しかしながら、この霊的側面は重要で深いものなので、その対処には広範囲にわたる研究と対話、沈思黙考が要求される。脱会カウンセラーはほんの数日間で、予め十分に説明を加えた上で、信者が自分とカルトとの関係について再考できるよう援助する。そこで更に加えて、カルト脱会後の宗教について、再び十分に説明した上で、本人が自分の意志で決定を下すよう尚かつ援助することなど、よほど傲慢にでもならない限り不可能というものではないか。こうした霊的問題の解決は、脱会カウンセリングの問題ではなく、回復期の課題である。牧師・神父(特に牧会カウンセラー)こそ、霊的問題を抱えた元カルト信者に対する本来の援助者なのである。

 同様に、実質的な心理変化も、時間と労力を要求する問題である。脱会カウンセリングは、実質的な心理変化を引き起こすものではない。変化の引き金となるにすぎない。すなわち、「目覚めさせる」情報を提供するのみである。そのようにして、本人の外側からではなく、内側において、本人の意思による純粋な選択が下されるのである。脱会カウンセリングにおいて、心理操作の「テクニック」に頼るならば、カルト信者は、今や下そうとしている決断が果たして本当に自分自身のものなのか、はたまたそれは脱会カウンセラーのものでしかないのかを、自ら見極めることがいよいよ困難になるだけであろう。
F.最後に
 情報、とりわけマインド・コントロールに関連する情報は、カルト信者のこころのロックを外す鍵である。われわれが念頭に置く脱会カウンセリングは、そうした情報を得ることができるようにお世話することでしかない。脱会カウンセラーは、心理学的な錬金術師ではない。霊的な奇跡を呼ぶ者でもない。彼女たちはただ、自分たちが知っていることを他の人々に分かち合う人間に過ぎないのである。

この資料の文章を全部又は一部でも使用する場合、マインドコントロール研究所所長パスカル・ズィヴィーの許可を得てからにしてください。


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