ひとり言とNews


   クリスチャン新聞 2006年5月号に掲載したものより抜粋
     『「信仰」という名の虐待を再考する』
2002年5月、私は福沢満雄牧師、志村真牧師と共に、いのちのことば社から「信仰」という名の虐待』という本を出版しました。その前にクリスチャン新聞で9回にわたってこの問題についての記事を掲載しました。その背景には、これまで「異端」や「破壊的カルト」と呼ばれてきた団体で起こってきたのと同じような、信仰的な装いをとりながらそのじつ虐待(spiritual abuse)であるというような問題が、正統的・福音的とされている教会でも起きているとの報告が、近年増えてきたという事情があります。

記事への4つの反応
    

 その後、この記事と本に対して様々な反応がありました。反応は大きく分けて4種類あります。
1教会で被害にあった人たちからの感謝の声

2牧師たちからの「この問題を取り上げてもらってよかった」という声

3「確かにこの問題はあるけれども、これを本にして取り上げることで、キリスト教に対する悪影響があるのではないか」と心配する声

4「この問題は存在しない。教会内の一部のトラブルメーカーの問題に過ぎない」という声

 出版から3年がたちました。このような4種類の反応を踏まえて、もう一度この問題について考えてみたいと思います。
 私はこの3年間に、多くのクリスチャンから相談を受けました。相談してきた人の中には、間違いなく「信仰という名の虐待」といえる扱いを受けてきた人たちがたくさんいました。しかし一方で、それを誤解している人たちもいました。そのような人たちは牧師や教会への不満をもっており、その不満を「信仰という名の虐待」と結びつけて考えていました。


誤解している例
 例1・ある相談者は牧師夫人がつけていた口紅の色が気に入りませんでした。それで、そのことを牧師夫人に伝えましたが、彼女は色を変えようとはしませんでした。そのことで相談者は「心に傷を受けた」と感じました。その相談者は私の本を読んで、牧師夫人のしたことが自分に対する「信仰という名の虐待」だと誤解しました。

 例2・別の相談者は、牧師の子どもたちが着ていた洋服がふさわしくないものだと感じて、それを牧師に伝えましたが、聞き入れられませんでした。それで、牧師の自分に対する虐待だと誤解しました。

 例3・また、ほかの相談者は、牧師の説教の内容に不満をもっていました。それでそのことを牧師に伝えましたが、聞き入れてもらえなかったので、自分が「信仰という名の虐待」を受けたと誤解しました。 

 ここに挙げた例は、いずれも相談者と牧師の考え方が違っていただけであって、決して「信仰という名の虐待」といわれるようなものではありません。相談を受ける時に重要なことは、相談者の話をよく聞き、いろいろな面から検討して、本当に虐待があるのかどうか、明確に確認した上で判断することです。もしそのようにせず、相談してきた人の訴えだけを鵜呑みにすると、大きな誤りに陥る可能性があります。
 前述の例では「信仰という名の虐待」というような実態はなかったことが分かると思います。しかし、いつも簡単にそれを見分けることができるわけではありません。時には見分けるのが困難な相談もあります。


見分け困難な例 

 ある相談者はイエス・キリストを信じていましたが、まだ洗礼(水のバプテスマ)を受けていませんでした。そういうわけで牧師は、彼が聖餐式にあずかることを認めませんでした。これに対して彼は強い要求不満をもちました。そして、自分が牧師から「信仰という名の虐待」を受けたと思いました。この話を聞くと多くの人が、牧師が自分の権力を利用したという印象を抱く可能性があります。この牧師は冷たい、おかしい、律法主義者だと思うかもしれません。しかし、そうではありません。
 キリスト教諸教派の中には、まだ洗礼を受けてない人たちが聖餐式にあずかることを認めている教会と、そうでない教会とがあります。どちらの意見が正しいのかを、私は今回この記事の中で議論するつもりはありません。はっきり言えることは、それを認めていない牧師たちが「信仰という名の虐待」をしているわけではないということです。洗礼を受けていない人の聖餐を認めないのは人々をいじめ、利用し、あるいはコントロールするためではありません。自分たちの教団の伝統と信仰の理解に従っ
ているだけなのです。
 この相談者は、私といろいろ話をした結果、少しずつそのことを理解できるようになりました。なぜこの問題が生じたのか? それは、その人と牧師との間にコミュニケーションが足りなかったのだと思います。そしてこのことから相談者は、自分が「信仰という名の虐待」を受けたと誤解したのです。


見分ける基準  

 本当の「信仰という名の虐待」というものは、「牧師と長老たちが自らの欲求のみを満足させるために信者たちの心を利用すること」です。そのために彼らは聖書のみことばを使います。性的な虐待、精神的な虐待、金銭トラブル、暴力などが生じます。彼らは信者たちに恐怖心を植えながら、信者たちの心をコントロールするのです。
 最近の例では、ある牧師が聖書のみことばを使いながら、若い女性に対して「自分は神の身代わりである。自分と性的な関係をもたなければ地獄に落ちる」と恐怖心を植えつけて性的な関係を強要しました。また別の牧師は、「財産を差し出さなければ地獄に落ちる」と、同じように恐怖心をもたせて多額のお金を献金させました。
 いずれの場合も「信仰という名の虐待」であると私は考えます。しかし、このような相談を受けた場合であっても、最初は相談してきた人の話をよく聴き、いろいろな面から検討して慎重に判断する必要があります。


虐待の有無に関する両極端    
 
 私は最近、ある一般新聞の記事を読んで、もう一つの問題があることに気づきました。その新聞には、ある教会内の「信仰という名の虐待」が報じられていましたが、この記事は「日本のキリスト教全体が『信仰という名の虐待』をしている」という印象を読者に与えかねないものでした。このことは大きな問題であると感じます。
 ほとんどの牧師たちは命をかけてまじめに、日本でキリストの福音を伝えているのです。その中で一部の牧師が「信仰という名の虐待」の問題を起こしたからといって、牧師全体を批判するのは大きな誤りです。例えば一人の外国人が日本に来て泥棒をしたからといって、「すべての外国人は泥棒である」というのと同じくらいおかしなことです。
 一方、一部の牧師たちは、教会内での「信仰という名の虐待」を全く否定しようとします。私はこれも大きな問題だと感じています。そのような牧師たちには「信仰という名の虐待」がどういうものであるかについて、もう一度学んでほしいと思います。そして被害者から直接話を聴いて、そのような虐待が確かに存在するという事実から目をそらさずに見てほしいと思います。
 前述の新聞記事の場合も、虐待を否定する牧師たちの場合も、私にはどちらもバランスを欠いた極端な考え方のように思えます。どちらも非常に危険な考え方です。新聞記事は、まじめに福音を伝えている多くの牧師たちを傷つけています。一方、虐待を否定する牧師たちは、被害者たちをさらに傷つけています。


被害者の癒し加害者の改心

 「信仰という名の虐待」の問題は、日本だけでなく、全世界のキリスト教の中に存在します。この問題に関する本は、アメリカやヨーロッパをはじめとする様々な国で出版されています。このような本を通してたくさんの被害者の心の傷が癒されました。そして多くの人たちが「もう一度、教会に行こう」と思うようになりました。それだけではなく、このような本をとおして興味深い影響がほかにも表れています。それは、自分の教会のメンバーに対して「信仰という名の虐待」を行っていた牧師の中から、事実を認めて悔い改める例が出てきていることです。
 カナダ・ケベック州のクロード・トゥランブレ牧師もその一人です。彼は自分の誤りに気づいた後、『The Subtle powerof the Spiritual abuse』(「霊的虐待の巧妙な力」の意)という本を英語からフランス語に翻訳して出版しました。そして、その本の中にこう書きました。 

 「この本に書かれている『信仰という名の虐待』はまさに私自身がかかっていた病気そのものでした。何年もの間、私は牧会する教会で、愛するメンバーの多くの魂を傷つけてしまいました。今、これまでの自分の行動に対して、非常に深い悲しみを感じています。この本を読むことによって被害者の傷が癒されるようにと、私は心から祈っています」

 筆者は、トゥランブレ牧師のこの言葉を読んだ時に感動しました。彼は英語でその本を読み自分の誤りに気づきました。そして自分が傷つけてしまった人たちのためにフランス語でこの本を出版したのです。これは人間としてとても勇気がいることだと思います。トゥランブレ牧師の行動について、多くのクリスチャンに深く考えてほしいと、私は心から願います。


キリスト者の責任

 私が「信仰という名の虐待」の問題に取り組んできて思うことは、一部の教会の中には確かに虐待が存在するということです。だから、被害に遭ったと訴える人がいれば、その人の話をよく聴いていろいろな面から慎重に検討し、本当に虐待があるのかどうかを判断する必要があるということです。そして、確かに虐待を受けたことが明らかになった場合には、被害者の心のケアを行わなければなりません。これはキリスト教の一つの使命だと思います。
 イエス様は3年間の公生涯の中で、すべての不正行為に対して戦う姿勢を示されました。「信仰という名の虐待」は重大な不正行為です。もしクリスチャンがこの問題を無視するなら、イエス様に対して信仰があるとはいえません。そして、外部の人たちから批判を受けても言い訳ができません。これではキリスト教全体の信用が失われてしまいます。この問題にきちんと取り組むことが、すべてのクリスチャンの責任だと私は思います。



         反セクト法をこう見る
      フランス人の観点から


a:
背景にフランス革命の人権意識

  
人権を守るための「反セクト法」

 昨年5月30日フランスの国民議会は、セクト団体(カルト)に対する「反セクト法」を制定した。その後、いろいろな反応があったが、その中で「この反セクト法は信教の自由を奪う」と批判した人たちが出てきた。アメリカの政府は特に強く反対した。さらに多くのカルト団体は反発し、あるキリスト教団体からも批判が出た。しかし、この法律は本当に信教の自由を奪うものだろうか。私はそうではないと思っている。

 フランスでなぜこのような「反セクト法」が出来たかについて理解するために、フランスの文化的、歴史的背景を考える必要があると思う。1789年にフランス革命があり、その時から、フランスでは人権に対する考え方が大きく変わった。フランス革命の前は一般の人々には権利は全く与えられていなく、すべての権利は神が持っているとされて、その神の権利を代理で行使出来るのは王だけであるとされていた。そのことによって王と宗教は一般市民を抑圧していたが、それに対して多くの人たちの強い反発があり、そしてルネサンスの時代に入って、少しずついろいろな哲学者が人権について発言するようになった。その中で代表的な哲学者、ボルテール、デカルト、ルソーなどは、すべての権利が神にあるのではなくて、一人一人の人間が自分で考え、自分の人生を決める権利を持っていると主張した。この頃から、伝統的な考え方と新しい考え方の間で対立がどんどん深刻になっていき、遂にはフランス革命が起こり、「フランス人権宣言」が出されることになった。それ以後、フランスでは人間の権利と自由を守るための長い歴史が始まった。フランスでは200年以上の間に人間の権利と自由を守るための、いろいろな法律や制度を改革し、信教の自由も大切にされてきましたが、カルト団体では信教の自由の名のもとに人権の侵害が見られるようになった。そのため、信教の自由に配慮しつつも人権を守るために「反カルト法」が必要となったということである。

 19481210日、国連総会で世界人権宣言が出された。第18条は「すべて人は、思想、良心及び宗教の自由に対する権利を有する。この権利は、宗教又は信念を変更する自由並びに単独で又は他の者と共同して、公的に又は私的に、布教、行事、礼拝及び儀式によって宗教又は信念を表明する自由を含む。」とある。

 フランスの政府はこの世界人権宣言を認め、守っている。フランス政府はカルト団体を見分けるために、「彼らの信じるものや教義に対しては一切問題にしていない。そのグループの中で人間の尊厳や自由、人権をいちじるしく侵害する策略や行動があるかどうかを観察する。つまり、それが有害か、あるいは非常に危険であるかどうか調べる。たとえば、人間は精神的や肉体的に弱い時にそれを利用したり、家族の破壊(親子や夫婦の断絶、別居、離婚に至る破壊)、子どもの人権を奪うとか、金銭的な詐欺を行うとか、メンバーたちに詐欺的行為を行っているか、などを調べる。
 私はクリスチャンとして信教の自由を守るのはとても重要だと思っている。歴史を見る時に信教の自由がなかったためにどれほど多くの人たちが虐殺されただろうか。第二次大戦の時に私の祖父母はユダヤ人だったため、殺された。現在でもいろいろな国で、たとえばスーダン、中国の政府は信教の自由を認めないから、多くの人たちが迫害を受けているし、場合によっては殺される。それに対して世界の各国から、批判の声が上がるのは当然だ。


b:
権侵害をするカルト団体

 しかし、統一教会の霊感商法、オウム真理教のテロ事件や殺害、法の華三法の詐欺事件、太陽寺院と人民寺院の集団自殺などの場合、問題はまったく違う。
 そのグループの行為は法律的に裁かれるのは正しいことである。しかし残念ながら、このようなグループの犯罪行為を正当化するために無責任な宗教家がいる。彼らは裁判において、このグループの犯罪行為が裁かれることは、「信教の自由が奪われている」と教える。カルト団体の犯罪の前に「信教の自由」の問題を持ってくるのは、大きな誤りである。このように単純に宗教とカルトを一緒にするのは非常に危険性が伴うと思う。それによって真の信教の自由の意味がなくなってしまう。

 カルトは人権を守らないなど、いろいろな面で犯罪行為を起こしながら、社会を破壊する。このことから、カルトは宗教と同じ立場にたたせるべきではないのだ。カルトと宗教は混同してはいけない。

 日本でも、いつか、フランスのように「反セクト法」を制定する日が来るだろう。もちろん、日本の社会的・文化的な背景を考慮して、ふさわしい法律を独自に作っていく必要があると思う。それは、ただ人々をカルトから守るだけではなく、信教の自由を守るためだ。

 1981年11月25日、国連総会で「宗教と信念を基礎にした、あらゆる差別と不寛容の形をなくすため」という宣言が出された。多くの人にその中の第4条を読み直して、深く考えて欲しいと思う。
 第4条「自分の宗教を表現する自由、信念の自由は他の人の同じような自由を侵害できない。この自由は人の宗教や信念の自由を守るために必要な法律によって限定させる。




『人は信じることによって自ら束縛されていく』

 なぜ、人はマインド・コントロールされるのでしょうか? どのようにコントロールされるのでしょうか? その原因はどこにあるのでしょうか? どんな人がとくにマインド・コントロールされやすいのでしょうか? 人の心が他者によって操作される問題は、破壊的カルトだけなのでしょうか? ――これから挙げるさまざまな証言をもとに、いろいろな観点から考えていきたいと思います。

1破壊的カルトが使うマインド・コントロールの特徴

 破壊的カルトは、マインド・コントロールによって人びとのアイデンティティー(主体性)をコントロールしながら、そのグループとリーダーの個人的な目的と望みのために、メンバーたちを働かせようとします。破壊的カルトのメンバーとなる人たちは、気づかないうちに、そのグループに囚われてしまうのです。破壊的カルトは、自分たちのメンバーをマインド・コントロールするために、複雑でさまざまなテクニックを使っていますが、その代表的なテクニックには、三つのステップがあると思います


a:だまし詐欺

破壊的カルトは、人々が求めているものや望んでいるもの、人生の意味がそこで得られるかのように信じ込ませます。誘われている人々は、このグループを通して自分の成長や社会あるいは世界の平和が実現できると思い込まされてしまいます。ですから、自分たちの目的とそのグループの本当の目的が、全く違っていることを知りません。そのグループの人たちを信頼し、安心しきって一生懸命グループのために働きます。そして、知らないうちにグループの考え方や感情を自然と身につけていき、やがてそのグループのメンバーとなってしまうのです

b :依存頼る


破壊的カルトは、環境を徐々にコントロールしながら、メンバーたちを外部(家族や友だちや一般社会)から引き離し、自分たちへの否定的な感情や情報の影響を受けないようにします。そのように、情報コントロールされるのです。そうした環境の中で、メンバーたちは、少しずつ破壊的カルトに対する批判的能力をなくしていきます。最終的に、メンバーたちはそのグループにすべてを依存するようになってしまいます。
 ある破壊的カルトはメンバーたちをグループに依存させるために、彼らをだれにも連絡をとることができないところ(ジャングル、田舎、山、島、砂漠)に集団生活させます。そこで、グループは情報とコミュニケーションをコントロールしながら、いろいろな教育をしていきます。メンバーたちは完全に一般社会から孤立させられているので、グループに依存する以外、道がありません。
 ほかの破壊的カルトは、町中にあるグループのセンターで集団生活をさせます。その場合、メンバーたちは自分の家族、友人たちや一般社会と接触ができます。しかし、グループは毎日、そのセンターにメンバーを通わせ、長い時間いろいろな教育をします。とりわけ「グループやリーダーの考え方以外はすべて間違っているかサタンの影響を受けているので、家族や友達、一般社会から離れなければいけない」と教え込みます。そして、もっと勉強させるために何回もメンバーたちをセンターに泊まらせます。そのうち彼らはその教えの内容を信じ込んでグループに依存し、二十四時間、センターで集団生活をするようになります。
 また、ほかのグループは集団生活をさせません。毎日メンバーたちを呼び集めて、長い時間教育を受けさせます。それ以外にも、グループの関係者がメンバーたちの家やアパートを訪問して、さらに教育します。それとは別に、メンバーたちは毎週、多くの時間を奉仕活動などに当てなければなりません。このグループも教育によって「一般社会の考え方は間違いである」あるいは「サタンの影響を受けている」
と教え込みます。メンバーたちはそれを信じて、グループに依存するしかなくなっていきます。

c:恐怖脅し

いったん依存する状態が完全にできてしまうと、破壊的カルトは、自分たちのメンバーの考え方、感情、行動すべてをコントロールすることができます。メンバーの心の中では、そのグループからの精神的支えを失うことに対する恐怖が、だんだん大きくなっていきます。そして、自分で判断するのが難しくなるのです。そのグループをやめさせないようにするために、いろいろな?脅し?も使われます。
例えば「このグループを離れたら、自分や家族が病気になったり、事故に遭う」とか、「死んだら地獄に落ちる」などと信じ込まされます。あるグループでは、脱会した人々に対して暴力を振るうことまでします。そのような恐怖を植えつけることによって、結果的に、メンバーたちをそのグループやリーダーに完全に服従させるのです


2
破壊的カルトは転換期にいる人たちを誘う


 人間は、いつも元気であるわけではありません。だれでも人生のいろいろな時期を乗り越えなければなりません。場合によっては強い精神的動揺を伴うこともあります。その時、心は混乱しているので、普通に判断できないことが多いのです。そのような時期を「転換期」と言います。転換期とは人生の一つの分岐点です。その時の決断によって、その後の人生を良くも悪くもする可能性があります。普通は、二つのタイプの転換期があります。一つは精神発達の面で、もう一つは環境変化の面です。

a:精神の発達途上で

人間は必ず精神の発達を経験します。たとえば、青年や中年や老年になる時、精神の転換期を迎えます。また、次のようなこともきっかけになりやすいのです。
・初めて両親のもとを離れる時
 (就職や進学など)
・自分や家族が大病をした時
・身近な人が死亡した時
・両親から自立したい時(精神的、経済的)
・自分が求めるものを探す時
・孤独な時
・家族に問題がある時


b
:環境の変化



 私たちは、生活している環境からさまざまな影響を受けています。その環境が変わる時、転換期を経験することになります。たとえば、子どもが初めて保育園や小学校に行く時、最初はいろいろな混乱が起きます。もちろん、その環境変化から精神の発達も促されます。以下は、そのような転換期になりやすい環境変化の例です。
・入学した時
・留学した時
・生き方を変えようと思った時
・引越しした時
・一人で外国に旅行した時

 破壊的カルトは、人が転換期にいる時をいちばんねらっています。なぜでしょうか。転換期にいる人の心は揺れ動いているので、普通に物事を考えて判断できず、簡単に他者からの影響を受け操られてしまいやすいからです。このことをより深く理解するために、元カルト集団のメンバーだった人の証言を紹介したいと思います。



●証言1


私は高校生になってからいじめを受けたため、ほとんど学校に行きませんでした。さらに私の身体には重いアトピーがありました。どんな病院に相談しても、このアトピーを治すことができませんでした。私はある日、本屋で一冊の本を見つけました。この本にはいろいろなヨーガのテクニックが載っていました。本の説明によると、このテクニックを使えば多くの病気が治る可能性があるということでした。その説明通りにしてみると、数日の間にアトピーが少しよくなりました。そこで、本のうしろに電話番号が書いてあったので電話し、発行元を訪ねてみました。その場所はヨーガの道場でした。ヨーガの先生はとても優しくて情け深い人で、長い時間をかけて私の悩みを聞いてくれました。私は、今までこんなに理解がある人に会ったことがないと思いました。もちろん、その人がある破壊的カルトのリーダーであることは知りませんでした。彼のグループのメンバーになろうという考えもありませんでした。しかし、私はその時あまりにも悩んでいたため、なにも冷静に判断できなかったのです。どんな問題があっても、彼の指導と教えを通してすべて解決できると思い込みました。それから一カ月後、私は彼のグループに入信しました。


3破壊的カルトが行う恐怖心を用いてのマインド・コントロール


 転換期にいる人たちだけが利用され、破壊的カルトからマインド・コントロールされるのではありません。元気で悩みがない人でも、操作される可能性があります。多くの元メンバーが「グループによって恐怖心を植えつけられたからマインド・コントロールされた」と言います。スティーヴン・ハッサンによると「恐怖心とは、基本的にはある人、またはある物に対する強い恐れによる不安」です。強い恐怖心は、激しい動悸、口が渇く、汗をかく、筋肉がひきつるなどの症状を引き起こします。また、人々を働けなくさせて、自分が本当にしたいことをできなくさせてしまうことがあります。そのように、恐怖心は人々の自由な判断力を奪ってしまうのです。
 以前、恐怖心を植えつけられ、マインド・コントロールされた破壊的カルトのメンバー数人にカウンセリングをしたことがあります。その中の一人の証言を紹介したいと思います。彼女は三年間、あるキリスト教系の破壊的カルトのメンバーでした。


●証言2


私はある日、仕事の帰りに二人の若者から声をかけられました。 彼らは私にいろいろな質問をしました。たとえば、「家族関係は大丈夫ですか?」「特別な悩みがありますか?」「人生に対して不満がありますか?」私はその時、自分自身や家族、日常生活に対して特に悩みがなかったので、この質問に対して「いいえ」と答えました。話の中で彼らは「私たちのセンターに来たら、人生についていい話を聞くことができる」と言いました。私は「まあ、いい話だったらちょっと聞いてみよう」と思い、次の日彼らのセンターに行きました。そして、二回にわたってある勉強会に参加させられました。話の内容が面白くなかったので、もう二度と行かないと思いました。しかし、その晩は自分のアパートに戻ってから、勉強会で聞いた話の内容を思い出しました。「死の世界」について講師の説明は本当なのか? 死んだら、私はどうなるのか? この教えを信じなければ、本当に自分と自分の家族、先祖そして子孫まで呪われるのか? 私は強い不安を感じたので、これが正しいかどうかを確認するために、次の日もう一度センターに行くことにしました。これが大きな過ちでした。もう一度同じ話を聞き、私の不安はもっと強くなりました。そしてしばらくの間、勉強するために毎日センターに行くことになりました。三週間たつと、私は自由に判断することができなくなっていました。そのグループのメンバーにならない場合は、私や私の家族、先祖、そして子孫までみな地獄に落ち、永遠に苦しむと信じ込みました。私はこのような恐怖心を植えつけられたために、このグループの奴隷になりました

(ワンポイント対策)


 ●多くの人たちが、破壊的カルトについて、何も知らないまま、何も確認しないまま入信しています。破壊的カルトから自分を守るために大切なことは、入信を決める前に、時間をかけて十分にそのグループのことを確認することです。そのために、ぜひ次のアドバイスを読んでください。

1
:誘われたグループについて情報を収集する


  
−社会問題を起していないか
  −たくさんの人がグループをやめていないかどうか
  −グループのリーダーはだれで、どんな人か
  −リーダーの本当の目的は何か
  −警察との間で問題を起していないか、スキャンダルはないか、
    裁判、事件はないか



2:そのグループの特徴を知る


  −リーダーはだれか、自分のことを何と言っているか
  −グループの構造や指導体制、命令系統はどのようなものか
  −グループはどのように維持、管理されているか
  −お金はどのように集められて、どのように使用されているのか
  −グループへの加入方法はどのようなものか
  −メンバーに対して、自由な思考や生き方を許しているか
  −どのような情報、知識でも自由に与えているか
  −グループをやめた人と会って話し合うことが許されているか


3
:自分自身を守る



  −破壊的カルトのマインド・コントロールのメカニズムを知る
  −知らない人からの電話や訪問には簡単に応じない
  −知らない人に、住所、連絡先などを教えない
  −自分の価値観を育てる
  −自分の個性を大切にする
  −自分自身を見失わないようにする

 もう一つ重要なのは『No』ということです。何かをしてもらったら、お返しをしようとするのが一般的ですが、この破壊的カルトの勧誘とマインド・コントロールに対しては、否定するための知識と精神力を身につけてください。



4:人は、自分が信じることで、自分の心を束縛していく

 人間には、自分が信じ込むことによって、自分の心を束縛していってしまう可能性があります。私自身(パスカル)も、かつてそれを経験しました。父が農業大学の教師だったこともあり、私は十八歳になるまで大自然の中で育てられました。生まれ育った環境の中で、私は多くの農民と交流を持ちました。農民たちの間には、動物やものや場所に対していろいろな迷信があり、私もそれについてよく耳にしていました。十歳の時、私はその迷信の一つを信じ込みました。それは「朝、クモを見ると必ず悪いことが起こる。夜、クモを見ると良いことがある」というものです。どうしてそう思い込んだかというと、朝、クモを見てから学校に行き、先生に叱られるということが二日続いたからです。さらに次の夜は幸運のクモを見ました。するとこんどは先生に誉められたのです。それからというもの、朝、クモを見ると不安になるため、なるべく見ないようにし、いいことが起きてほしいので、夜はクモを見つけるまで眠れなくなってしまったほどでした。このように迷信を信じるようになっていたためか、十五歳になると新聞の星占いに強い関心を持つようになり、それ以来二十一歳になるまで毎日、星占いを気にしていました。その内容によって不安になったり、一日の出来事を結びつけて考えたりと、星占いに縛られた生活をしていました。運勢が悪いと書いてある日などは、外に出られないこともありました。そんな状態から脱することができたのは、日本に来てからです。まず、日本語の新聞を読むことができなかったので、毎日星占いを見ることがなくなりました。そしてしばらくして、星占いに頼らなくても普通に生活できることに気づきました。さらにアメリカ人の宣教師と日本人の牧師を通じてクリスチャンになり、私の心は完全に解放されました


5親密な人間関係の中にもカルト化は忍び込む

 私たちの身近な人間関係の中にも、カルト化した関係を見ることがあります。それは主に、一対一の関係において起こります。例として、先生と生徒、コーチと選手、カウンセラーとクライアント、親子関係、夫婦関係などです。そうした中から一つの例として夫婦関係を取り上げてみましょう。「私は自分の夫から人形のようにあやつられていた」という女性たちをカウンセリングしたことがあります。これは、夫が自分の欲求を満たすために妻をコントロールするケースです。彼女たちの傷はとても深く、男性に対して恐怖心を持っています。彼女たちは、自分たちの特性、能力、個性や人格まで否定され、多くは暴力や性的虐待を受けています。みなさんに、この問題への理解をもっと深めていただくために、そうした被害者の一人の証言を紹介したいと思います。


●証言3

 結婚した時の私は、幸せな家庭を築くものと信じていました。しかし、離婚するまでの三年間、大変つらい経験をしました。今、振り返ると私の結婚生活は地獄のようでした。元夫は、結婚前に付き合っていた時はとても優しかったのですが、結婚生活を始めてからすべてが変わりました。彼は最初、私の料理と服装に対していろいろなアドバイスをするようになりました。やがてそのアドバイスが、私の日常生活すべてに及ぶようになりました。しかし、これは単なるアドバイスではありませんでした。三カ月いっしょに生活して、そのことがよく分かってきました。彼の言うことに従えば優しくされますが、従わない場合は彼の怒りを受けていました。その怒りが、普通ではありませんでした。彼はいつも大暴れしました。そして、大声で叫びながら、いろいろなものを投げてきました。たまに暴力も振るいました。恐怖のあまり、そういう時はただ彼の怒りを静めるため、必ずいつも私のほうが謝っていました。
 自分の家族、特に母には、この問題についてよく相談もしました。しかし、長い間だれも私の話を信じてくれませんでした。元夫は、第三者の前では私に優しくし、二人きりになると暴力的だったからです。母は逆に、私に問題があると思っていました。そうした状況の中で私は非常に落ち込みましたし、一時期はノイローゼ状態にもなりました。半年後、私は自分を失くし、考えることやめざるを得ませんでした。そして、元夫を怒らせないように、暴力を受けないように、どんな小さいことでも彼の望み通りにしました。離婚するまで、彼は精神的にも肉体的にも、自己満足を得るために私を利用しました。

 第三者は「なぜ、彼女は逃げなかったのか」と言うかもしれません。それについて、本人は「その当時、私の心理状態は大変混乱していたので、逃げるということさえ思いつけなかった」と言います。


(ワンポイント対策)

 今、日本全国にこのような被害を受けている女性たちがたくさんいます。彼女たちの夫の職業はさまざまです。学校や大学の先生、公務員やサラリーマン、労働者などです。クリスチャンの中にも、このような問題を起こしている男性がいます。牧師夫人から相談を寄せられることもあります。こんな被害から自分を守るために、ぜひ次のアドバイスを読んでください。

自分の知人の中で、この問題を理解できる人に相談する
弁護士や警察に相談する
近くの女性相談センターに相談する
必要時、自分の身を守るために家から出る
必要時、自分の身を隠す



6身近で、知らないうちに、だれにでも……が、マインド・コントロールの問題

 今回、四つのことを理解していただくために、この記事を書きました。一つ目は、「破壊的カルトのマインド・コントロールの危険性」についてです。二つ目は、「だれでもマインド・コントロールされ、知らないうちに破壊的カルトのメンバーになる可能性がある」ということ。三つ目は、「私たちの身近な人間関係の中でも、カルト化は起こりうる」ということ。つまり、この問題は決して「特定のグループ」だけの問題ではないのです。だれでも、注意しないとこのような誤ちを犯す可能性があります。異端でないキリスト教会でさえ、カルト化することがあります。そして四つ目は、私のようにどなたでも、自分が信じることで、自分の心を束縛していく可能性があるということです


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